日々の記録

 ブログの日記が日々の記録であるとするならば、Twitterはある意味、時々刻々の記録である。だからなのかもしれないけれど、Twitterを本格的に始めてからというものの、ブログの更新が少なくなったり、あるいは短くなったりする傾向にある。そんなわけで、このブログの脇にもTwitterの最新発言7件を表示するようにした。そんなわけで、ブログ本体の日記同様、Twitterのほうにも気を配っていただければ、と思う次第である。さらにできることなら、このブログのTwitter最新7件のみでなく、本家Twitterのほうでもフォローいただければ幸いである。
 とはいいつつも、所詮は無名な人間の取るに足らない日々の記録。べつに読まなくたってなんのマイナスもないし、読んだからってなんのプラスもない。ましてやTwitterでフォローしてまで読む価値のある文章なんぞ、僕は一度も書いたことがない。ブログもTwitterも、特段の気合を込めて書いているわけでもない。まあ、ゴミみたいなもんだ。だからつまり要するに、なんだ、そうだ、そんなもんだ。
 僕が突然死んだら、ブログもTwitterも突然まったく更新されなくなる。だのにそれまでに書いたものは、僕が死んだあとも残ってしまう。僕の死後にも残り続けるそれらのゴミに、いったいどれほどの価値があるというのか。ない。何もない。だから死ぬときには、せめて僕がそれまでに書いたすべての発言を消し去る時間の猶予がほしい。
 ちょっと待てよ。でも所詮はゴミなんだから、わざわざ消すこともないのか。僕が書いた何かが、僕の死後何十年かたってから、どこかの誰かに影響を及ぼすなんて、あまりにも考えにくいことだ。
 だけども僕が死んだとき、何人かの人間には、できれば泣いてもらえたらと思う。僕が死んだあとに僕よりもあとまで残る文章を見た誰かがもしも泣いてくれるとしたら、ただそのためだけにも僕はゴミを残しておく価値があるかもしれない。ささやかな目的を持ったゴミ。ま、いいでしょう。べつに二酸化炭素は増やさない。環境にやさしいかどうかはともかく、少なくとも環境に負荷をかけることはない、僕のささやかな、言葉。
 
 (23:01)