南アフリカ旅日記 〜day12 Cape Town〜

<7月3日>
 歩いてわずか10分弱とはいえ、夜の空港周辺は人通りがまったくない。タウンシップ(旧黒人居住区)も近く、ケープタウン在住の人には事前に「夜はなるべく歩かないほうがいいですよ」と言われていたから、前夜の僕らはちょっと緊張してホテルへ向かった。たしかに本当に誰もいなかった。ホテルの入り口もゲートが閉ざされていたから、やっぱり夜は不用意に歩くもんじゃないと思った。
 だけども明るい時間なら、何も問題なし。この日も朝ホテルを出て、空港まで歩いていった。といっても散歩ではなくて、空港から市街地まで例のエアポートシャトルで向かうためである。
 今回の旅で、ケープタウンで……つまりアフリカ大陸で丸一日を過ごせるのは、泣いても笑ってもこの日で終わりである。ロベン島と夜のアルゼンチン・ドイツ戦が、最後を飾る2大イベントだ。
 前回、29日のロベン島は強風で欠航になった。この日は朝からすばらしい晴れ。風も弱い。これで船が出ないなんてことはないだろう。
ケープタウンのタウンシップ(車から撮影) 空港から市街地中心部へ向かうN2は、途中で大きなタウンシップの脇を通る。僕らは一度レンタカーで迷い込んだ以外、タウンシップに近寄ってはいないけど、やはりそばを通るときは自然とシャッターを切ってしまう。(鉄条網や電気フェンスが付いた)塀に囲まれ、庭があり、その中に建つ瀟洒な、あるいは豪勢な家々は、美しい街・ケープタウンにいっそうの彩りを添えている。しかしその一方で、ほんのわずか離れたところには、アパルトヘイト(人種隔離政策)時代の残滓であるタウンシップが残り、そこには瀟洒で豪勢な家々とは関係のない黒人たちが無数に暮らしている。ケープタウンの華やかなところと同様に、タウンシップの光景も、やはり僕らに強烈な印象を与えずにはおかない。
シビックセンター エアポートシャトルシビックセンター(写真)に着いたのは9時40分頃。前回とは打って変わってすばらしい晴れだ。ケープタウンの街中も2度目となればそれなりに余裕で、シビックセンターから駅前を通り、FANウォークを歩いてウォーターフロントに向かった。途中にあったパスタ屋で朝飯を食おうと思ったら、「まだパスタは準備ができてません」。パスタ食いたかったんだけどなぁ。
ケープタウンの街中のサッカーモニュメント
シビックセンターの近くには、サッカーボールをかたどったモニュメントが
ケープタウンの街中3
ケープタウンの街中2
朝のケープタウンの街中の風景。人通りの多いところであれば、危険な空気は何もない
 途中、FANウォークをはずれてウォーターフロントへのショートカットとおぼしき裏道に入っていったら、人通りがまったくなくて、緊張。そしたらタイミング良く(悪く?)黒人の3人組が向こうからやってきて、すれちがいざま僕らに大声でちょっかいを出してきた。僕らは無視して通過。後ろから笑い声が聞こえただけで何も起きなかったけれど、正直、やや怖かった。午前中の明るい時間、しかも治安は比較的いいケープタウンの中心部とはいえ、やっぱり南アで裏道は歩いちゃいけないなといまさらながらに後悔した。
街中からのテーブルマウンテン1
街中からのテーブルマウンテン3
街のどこからでもテーブルマウンテンを眺められる。それがケープタウンのすばらしいところ。いちばん下の写真はウォーターフロント地区の入り口にある観覧車
 ウォーターフロントのエリアに入り、人通りが増えたときにはさすがにほっとした。パスタを食いそこねて腹がへっている僕らは、まず何か食べようということになり、ロベン島への船が出るクロックタワー(時計塔)の脇を抜けてビクトリア・ワーフの方面へ。でもそれほど時間があるわけじゃなかったので、途中のスタンドでホットドッグを食った。
クロックタワー
ウォーターフロントのシンボルのひとつ、クロックタワー。その左側にある白い建物が、ロベン島行きの船が出るターミナル
ドイツ国旗
ウォーターフロント背後の山を見上げると、なぜか巨大なドイツ国旗が……この日の試合結果を暗示していたか
 時間は午前10時半近く。船は11時に出るので、僕らはロベン島行きフェリーターミナルで待った。空はすばらしく晴れている。ロベン島観光日和、ケープタウン満喫日和だった。テーブルマウンテンの岩壁が真っ青な空に高コントラストで映えていた。
 船はおそらく満席に近かった。上にオープンエアーのデッキがあり、その階下に船室があって、できればデッキに上がってテーブルマウンテンケープタウンの街並みの写真を撮りたかったのに、デッキはもう満杯。出遅れたか。仕方なく船室の、しかも窓際じゃない席に座らざるをえなかった。
 ロベン島まではだいたい30分。船内では島や歴史に関するビデオが流されている。近くのドイツ人と思われる男たちの声がデッカくて、ビデオの音声は何も聞こえなかった。
ロベン島の入り口 島に着く。アパルトヘイトという過酷な歴史を背負ってきた島なのに、港は明るく静かで、沖縄の離島のような平和な空気さえ漂わせていた。
 ロベン島のロベンはオランダ語である。スペルはRobben。そうか、オランダ代表のロッベンと同じなんだ。ならロッベン島でもいいのかもしれない。なんて思いながら歩く。
 ご存じだと思うのでごくカンタンに振り返っておくと、ロベン島は古く17世紀から刑務所として使われていた。とりわけ悪名高いのは黒人やカラードの政治犯を収容する場所となったこと。アパルトヘイトの下、かのネルソン・マンデラはここに18年間収容されていたし、現大統領のズマも収容経験者のひとりだ。ケープタウンの街からわずかの距離にあるにもかかわらず、その間の海の潮流は激しく、脱獄に成功した人間はひとりもいないそうだ。1990年代に入り、アパルトヘイトは撤廃。マンデラが大統領になるにおよび、1996年に刑務所は閉鎖され、その3年後に世界遺産として登録された。広島やアウシュビッツなどと並び、いわゆる“人類の負の遺産”の代表といえる島である。
 港に上陸した観光客はまず二手に分かれ、僕らは最初にクライマックスである旧刑務所の建物へと導かれた(もう一方のグループは島内巡りのバスツアーからスタート)。旧刑務所を案内してくれるのは、実際にここに収監されていた元“囚人”だ。彼は収容所生活の実態や、当時の思い出をゆっくりと語りだした。人種差別が生んだ悲惨な歴史を自ら体験した人間による貴重な証言。日本人には比較的人気のないスポットだというが、ケープタウンにくることがあったら、かならず訪れてほしい場所である。
黒人収容者のマット
ベッドとキリスト
黒人の収容者が当初就寝に使っていたマット(上)。のちにベッドで寝られるようになったそうだ(下)。キリストの絵は何を目撃してきたのか
収容施設
刑務所の広場
収容施設の外観(上)と、運動や作業に用いられた広場(下)
マンデラの部屋
マンデラさんが収容されていた部屋。上の写真の広場に面している
ロベン島の監視塔
この塔から監視していたのか……アウシュビッツを思い出した
 旧刑務所のあとはバスで島内を巡った。島が抱く歴史のことを考えなければ、ぐるりと囲む青い大西洋と、向こうにそびえるテーブルマウンテンの姿がたいそう美しい。ただたしかに潮の流れは速そうで、泳げといわれてもちょっと……という感じではあった。
ロベン島から見たケープタウンとテーブルマウンテン
ロベン島から見たグリーンポイント・スタジアム
ロベン島から見たケープタウンテーブルマウンテン(上)。下は望遠で撮ったグリーンポイント・スタジアム周辺
ロベン島の港
いまでは平和な雰囲気の、ロベン島の港
 帰りの船は午後2時半頃にケープタウンへ着いた。早めに船に乗ったおかげでデッキの最前列を確保できたが、吹きさらしの船上はさすがに風が強く、潮のため揺れもかなりのものなので、立っているのは厳しいくらいだった。
船から見たケープタウン
ロベン島帰りの船から見たケープタウンテーブルマウンテン
この街とこの山の景色は、何度見ても、いくら見ても飽きなかった

 アルゼンチン・ドイツ戦は4時から。当初、ロベン島から帰ってくるのは2時だと聞いていたのでランチをゆっくり取れると思っていたけれど、それが30分遅れたから、案外時間がなかった。仕方なく僕らはフードコートでタイヌードルを押し込むように食べ、4日ぶりにグリーンポイント・スタジアムへと歩いていった。そうそう、時間がないのに急いでフードコートで食べたのは、またスタジアムのあのうまくないホットドッグを食うのは勘弁だったからだ(朝もホットドッグだったし)。
賑わうウォーターフロント
ウォーターフロントに戻ると、ドイツ人とアルゼンチン人で大賑わい
グリーンポイントの入場列
グリーンポイント・スタジアムの入場の列
グリーンポイント・スタジアム 今回も座席はカテゴリー1。結局この旅で見た3試合は、すべてカテゴリー1だった。この試合は、前半ドイツ・後半アルゼンチンゴールの真横で、左コーナーの近くだ。ということは、とくに後半はドイツのゴールラッシュを堪能できたということ。僕は優勝候補本命をアルゼンチンにしていたけれど(対抗ブラジル、単穴スペイン、連下イングランド)、この日のドイツの猛攻は本当に“堪能”したという感じだった。ほかには、クリスティアーノ・ロナウドと同じくメッシがボールを持ったときもスタジアム中からフラッシュが沸き起こったこと、アルゼンチン・サポーターがやたらとうるさかったこと、そしてやっぱりマラドーナの一挙一動が見ていて楽しかったこと……そのあたりが印象に残ったゲームだった。
ウォーターフロントのKARIBU 4時開始のゲームだったので、試合が終わってもまだ夜は早い。南アフリカ最後の夜ということで、僕らはウォーターフロントにあるアフリカ郷土料理系の「KARIBU」という店に行って、またもや肉やら米やらボボティやらをビュッフェでたらふく食った。帰りはシビックセンターまでタクシーに乗り、ふたたびエアポートシャトルで空港へ。そうして宿に着いたのは、スペイン・パラグアイ戦がもう終わりに近い頃だった。ジンバブエで買ってきた、カールをのばしたようなおいしくないお菓子をちょっとだけつまみ(でもあまりにおいしくなかったのですぐにやめたけど)、ああ、もうあしたには南アを離れるのかと感傷的になりながら、帰り仕度の荷物を詰め始めたのだった。(day13&14へ続く)
 
 (23:59)