南アフリカ旅日記 〜day3 Rustenburg〜

<6月24日>
 6月24日。長い長い一日が始まった。
 まず、時差を整理しておこう。日本と香港(マカオ)は香港がマイナス1時間、香港と南アフリカでは南アがマイナス6時間、つまり日本と南アでは7時間の差がある。
 続いてこの日のフライト予定。僕らが本来向かおうとしていたのはケープタウンである。到着日の夜、ケープタウンでオランダ・カメルーン戦を見ることにしていた。それ以外もケープタウンをベースにする計画だったため、香港〜ケープタウン往復の南アフリカ航空の割引チケットを買っていた(香港からケープタウンへは直行便がないため、ヨハネスブルクで乗り換え)。
 ところがすでに書いたとおり、日本出発のほんの数日前、オランダ戦の善戦を見てから「24日はデンマーク戦を見にいこう」と急きょ決意。そのデンマーク戦の会場はケープタウンからはるかに離れた、というよりはヨハネスブルクに近い、ルステンブルクラステンバーグ)という街である(*下の注参照)。
 ルステンブルクは、アクセスがきわめてよくない。近傍に小空港はあるが就航路線が少ないため、通常のアクセスはヨハネスブルクから、しかも車で2時間はかかる。南アは飛行機以外に安心して利用できる公共交通機関が未発達で、この「車」も路線バスではなく、タクシーやハイヤーシャトル、あるいはレンタカーを利用するということだ。いずれにせよルステンブルクに行くには、ヨハネスブルクをベースに動く必要があることはまちがいない。
 僕らは香港からヨハネスブルク経由でケープタウンまでの往復チケットを持っているから、ルステンブルクへ行くなら、往路のヨハネスブルクケープタウンだけキャンセルあるいは便を変更すればいいように思えるかもしれない。けれど割引率の高いチケットの場合、そう都合よくはいかないのである。香港〜ケープタウンという決められた区間の往復で買っているので、その一部を搭乗しないといった融通は利かない。経路の一部をキャンセルすれば、このテの割引チケットの場合、普通は残りの行程全部も取り消されてしまうのだ。
 もちろん、搭乗便を変更することも不可。つまり簡単にいうと、僕らはケープタウン往復の格安チケットを買っちゃった以上、そのチケットでなんとしてもケープタウンまでは行かなくちゃならないというわけである。そこで僕らは、ヨハネスブルク経由でケープタウンまでいったん飛んだあと、ふたたびヨハネスブルクに戻って、ルステンブルクに向かうことにした。広い南アを、しかも到着したばかりで南北に行ったり来たり。ただ、直前でもケープ〜ヨハネス間のBA(ブリティッシュ・エアウェイズ)を安く取れたのがありがたかった。
 
 ここで話はようやく、香港からヨハネスブルクのフライトに戻る。香港発が香港時間のほぼ午前0時で、ヨハネスブルク着は定刻だと南ア時間午前7時だから、フライト時間は13時間。僕らは最後列に席を取り、周辺にけっこう余裕があったので、ひとり数席を使うことができた。おかげで睡眠もそれなりに(しかも楽な姿勢で)とることができたのは幸いだった。なにしろ、デンマーク戦を強引にねじ込んだ関係上、しばらくはホテルでゆっくり休むことができないからである。むこっちも、とっきーも、かなりリラックスして眠り込んでいた。
 機中では、機内食は2食ともイマイチだったけれど(魚を使ってるんだが何をしたかったんだかよくわからん料理とか)、南アのカッスル(Castle)、ナミビアのヴィントフーク(Windhoek)とまずビールでノドを潤してから、南ア自慢の赤ワインを2種類(カベルネメルローだったと思う)堪能した。
 飛行機はインドシナ半島上空を抜けて、以降はアフリカ大陸までずっとインド洋上を飛ぶ。マダガスカルに差し掛かったのは南ア時間午前3時すぎだったろうか。おそらく首都アンタナナリボの付近だと思うが、まだ真っ暗な大地に、ポツン、ポツンと人の明かりが見えた。この闇とこの明かりが、僕が生まれて初めて自分の目で見た“アフリカ”である。
 それからさらに1時間強。モザンビークの海岸線から、僕らはアフリカ大陸上空に突入した。そしていよいよ、南アフリカへ。まだまだ真っ暗な中に、マダガスカルとは比べものにならないほどの無数の明かりが見えてくる。車のライトの動きも確認できる。大都会・ヨハネスブルクだ。
 定刻より1時間ほど早く、午前6時ちょっとすぎに、僕らはヨハネスブルクのO.R.タンボ国際空港へ着陸した。着陸直前の機内アナウンスでは、外気温は摂氏3度とのことだった。ブリッジへ出ると、たしかに、ひんやりとしていた。
 
ヨハネスブルク空港 南アフリカの入国審査を済ませた僕らは、出発前にテレビで見た記憶のある、中空に巨大なサッカーボールの浮かんだ到着ロビーに出た。ボードを掲げた人待ちの業者から、目的不明の人々まで、朝早いのに多数の人たちで賑わっていた。ただ、到着ロビーに出るとすぐ聞こえてくるというブブゼラの音は、このときはほとんど聞こえなかった。たぶんこれも朝早かったからだろう。
 この辺から、僕らは緊張を始めていた。出発前から、とにかくヨハネスブルクは危険だし、空港でも気は抜けないと言われまくっていたからだろう。たしかに実際、何人かがすぐに声をかけてきたし、荷物に手を載せようとした人もいた。けれどさすがに人が多かったからか、とくに危険な印象は感じなかった。
 W杯チケットセンターでクォーターファイナルのチケットを発券したり、円から南アフリカ・ランドへの両替を済ませたりしながら、待つこと3時間。午前9時半に、僕らはケープタウンへ向け飛び立った。
ケープタウン空撮 ケープタウン空港に着いたのは11時半すぎ。もうまもなく正午という頃である。天気は文句なしの晴れで、着陸直前からケープタウンの街並みと、その背後にそびえるテーブルマウンテン、ワインランドの緑、そして遠くケープポイント(喜望峰周辺の岬)までが、機窓に美しく展開していた。
 ケープタウンに着いたら、空港ターミナル前でテーブルマウンテンの美しい姿をひとしきり拝んだ後、すぐさまヨハネスブルクへとんぼ返り。BA6416便は午後2時の離陸である。荷物を受け出して今度はBAにチェックインし(運航はComair)、搭乗ゲートで夕食用のマフィンやスコーン、水などを買い込んだら、もう搭乗時刻(30分前)が迫っていた。
 いま飛んできたばかりのルートを、こんどは別の航空会社で戻っていく。デンマーク戦は夜8時半(日本時間翌日午前3時半)開始で、まだチケットを持っていないのだからできれば開始2時間前までには現地に到着したい。車で2時間ちょっとかかることを考えると、遅くとも4時近辺にはヨハネスブルクを出発したいところだ。僕らの乗るBAは定刻4時10分着だから、けっこうギリギリのスケジュールである。
 なんとか定刻どおりにヨハネスブルクへ帰還。ゲートを出ると、早朝とはちがって到着ロビーではウワサどおりにブブゼラがそこらじゅうで鳴り響いていた。見回すと、日本で予約しておいた車の迎えもきちんときていた。ルステンブルクまでどうやって移動しようかと考えたとき、同様にヨハネスブルクから向かう日本人たちは時刻的にすでに出発してしまっている(僕らのヨハネス到着が遅いで)ので、同乗をお願いすることはムリ。かといって長距離フライトで疲れ果てているところで、いきなりレンタカーを往復4時間以上運転するのも気が引ける……というかやめたほうがいい(しかも通るのはヨハネスブルク近郊だし)。そこで、信頼できる現地の旅行会社で、車を1台手配しておいたというわけだ。
 1週間前にはまったく計画になかったことだけれど、こうして僕らは治安が不安だと避けまくっていたヨハネスブルクの街に、結局出ることになった。徒歩でなく車でだけど。停車中、国旗を売りにくる現地の人空港からしばらくは日本をはじめ各国の大メーカーの工場が並び立ち、その先でタウンシップ(旧黒人居住区)のようなバラック造りの町も見られた。一般の家々には、例外なく塀の上に鉄条網が張り巡らされている。車が信号で止まると、国旗や新聞などを売る黒人が近づいてきた。最初はややビビッていたけど、そのうち慣れてきて、これはけっこう大丈夫かもと思った。
 空港を出発したのは午後4時半頃のこと。すんなり2時間でいってくれれば試合開始の2時間前には会場近くに着くことになり、向こうでチケットを探す時間もあるだろうと踏んでいた。というより当初は、超順調なら1時間ちょっとという情報もあったので、なるべく早く着いてほしいと願っていた。
ルステンブルクに向かう道 道はたいして混雑もなく順調に見えたが、ヨハネスブルクの街を出て1時間以上走っても、それらしき街にたどり着く気配がない。むしろ危険な野生動物が普通に闊歩していそうな原野の一本道を、いつまでも走っていく。時折野焼きをしているところにも出くわした。やがてアフリカの大地に日が沈み、辺りはすっかり暗くなる。時間は6時をすぎ、6時半もすぎた。そろそろ着かないとさすがにヤバいだろと思った頃、前方に車の列が見えてきた。
「あと10分でパーク&ライドに着くよ。そこから先はシャトルバスでスタジアムまで行くんだ」と、ドライバーのローランド。はたしてそこから10分もせず、7時ちょうどの頃に、僕らの車はパーク&ライドの駐車場へとすべり込んだ。それまで荒野をひたすら走ってきて、さすがにこの周囲だけはたくさんの車で賑わっている。
 ただし、駐車場自体はやはり単なる荒地だ。そして周囲には何もなく、駐車場のエリア以外は真っ暗。駐車場ですら乏しい明かりで薄暗い。日本でルステンブルクのスタジアムを空撮した映像を見たとき、周りに何もないことはわかっていたけど、ほんとにここは僻地だと思った。よくこんなところでW杯をやるなぁ、と。
 車を止め、帰りの手はずをローランドと相談してから、僕らはシャトルバスが出発するほうへ向かう。その辺りに行けばダフ屋もいるだろうという算段だった。ところが、「We NEED 3 Tickets」というボードを用意して探すも、そういう人が見当たらない。ローランドも、
「え、チケット持ってないの? なのにここまで何しにきたの?」と半ば呆れ顔(笑)……と、そのとき、ひとりのややガラの悪そうな白人のオジサンが僕らのほうに近寄ってきて、「チケットあるよ」と声をかける。
 見ると、彼の手にはカテゴリー1のチケットが3枚握られている。値段交渉をすると、1枚160米ドルのチケットが1枚100ドルでOKとのこと。ニセモノが出回っているというウワサもあったので、むこっちがすでに持っているクォーターファイナルのチケットと念入りに見比べて、本物であることを確認した。
 問題は、いまそこに米ドルが300ドルもあるかということ。むこっちととっきーは米ドルをまったく持っておらず、ランドだけだった。僕は米ドルも持っていたけど、「300ドルもあったかなぁ」と不安になり、ポケットを調べてみる。すると400ドルあることが確認できたので、なんとかギリギリで買うことができたのだった。
 
 パーク&ライドから満員のシャトルバスに乗り込む。中はほとんどが現地の人たちばかりで、日本人は僕らだけ。おそらく、ほとんどの日本人はもうスタジアムに着いているんだろうと思う。
 スタジアムに着くまでの間にも、黒人たちはバスの中でブブゼラを吹きまくり、僕らの姿を見つけては「JAPAN! JAPAN!」と大騒ぎだった。近くにデンマークっぽい人も乗っていたけど、そっちの応援はなくて、なぜかひたすら「JAPAN! JAPAN!」ばかりだった。うれしいはうれしいけど、車内のブブゼラはさすがにうるさかった(笑)。
ロイヤルバフォケン・スタジアム 10分ほど乗って、会場のロイヤルバフォケン・スタジアムにようやく到着した。周辺にはやっぱり何もない。そして、暗い。暗い中を、ぞろぞろとスタジアムまで歩いた。標高およそ1500m、しかも夜の時間帯ということもあって、さすがに寒かった。ゲートでチケットをもぎられた時点で、試合開始まではもう1時間を切っている。まあでも、なんとか間に合った。
 ほっとして入場し、席を探すと、向こう正面つまりテレビでずっと映っている側の前から3列目。しかも前列が誰もいなかったので、実質2列目という超良席だった。ビールを買いに通路へ出ると、そこには日本サポーターばかり。こんなところまでこんなにきてるんだ、とちょっと感動する。出発前に信濃町のペルー料理店で何度か開かれた、mixi現地観戦コミュの集まりで出会った人たちもいた。
 僕は正直、この試合は負けないと思っていた。最低でも引き分けでいける。いやたぶん勝てるだろう。つまり決勝トーナメント進出はまちがいない……そう思って臨んでいたので、試合前は案外気楽なものだった。そのときのJAPANには、なんというか、負けない自信が感じられた。本田の先制FKが決まったときには、もう勝ちを確信したといっていい。
 そして結果は……いうまでもなく、遠藤のFKと岡崎のダメ押しで3‐1の快勝。決勝T進出を決めた。こんなに遠いアフリカの地、しかも着いたそばからヨハネス〜ケープタウンをいきなり往復するというおまけまで付いて、苦労してやってきたルステンブルクで、たかゆきさんのコメントにいわく「おそらくここ数年の日本代表ベストゲーム」を見ることができ、それはもう幸せな気分だった。
 試合が終わり、ふたたびパーク&ライドまでシャトルバスで移動。大群衆が一斉にバスへ向かって押し寄せるものだから、乗るまでに1時間ほどはかかったか。ケープタウンのように街中のスタジアムなら帰りの手段はいろいろあるけれど、周囲に何もないここルステンブルクでは、とにかく近くのパーク&ライドまでバスで行くしかない。つぶされる〜と思いながら並び、ようやく乗ることができたのだった。
 元のパーク&ライドに戻り、ローランドの携帯に電話。広く薄暗い駐車場でなんとか彼の車を探し当てて、僕らは興奮した頭と疲れた体を乗り込ませた。午前0時になるかならないかの頃、僕らの車はふたたびヨハネスブルクの空港へ向けて出発。車が動き出すなり疲れがドッと出て、3人とも車内で爆睡を始めた。(day4へ続く)
 
 野焼き中
 ルステンブルクへ向かう道すがら、野焼きをしているところに何度も出くわした
 
 デンマーク戦勝利後、駒野くんほか
 デンマーク戦に勝利して、スタンドの応援団に挨拶する日本代表。駒野くんも満足げな表情だが……
 
 (9:49)
 
*Rustenburgは、表記が悩ましい街である。通常は「ルステンブルクルステンブルグ)」「ラステンバーグ」という二様の表記がある(なかには「ルステンバーグ」「ラステンブルク」と書く人もいる)が、どちらが正しいのかと聞かれても、どっちでもいいんじゃない?としか答えられない。ラステンバーグは英語読みで、ルステンブルクは現地語のアフリカーンス語に由来している(ルステンバーグやラステンブルクは双方の混ぜ読みだろう)。同様の問題は、南アの代表的な街であるヨハネスブルクでも発生する。日本では「ヨハネスブルクヨハネスブルグ)」がポピュラーになっているが、現地では英語の「ジョハネスバーグ」で呼ばれるのが普通。それを略した「ジョバーグ」(Jo'burg)もよく使われている。でもだからといって日本語の文章でジョハネスバーグやジョバーグと表記することには、やっぱり抵抗を感じてしまう。ひとまずJohannesburgヨハネスブルクと書くからには、Rustenburgもルステンブルクと書いておいたほうが統一性がとれるかなと思い、そうした。