南アフリカ旅日記 〜day0 後編〜

 2月、3月頃の時点で僕ら二人が考えていた行程は、概ね次のような感じだった。(数字は○日目の意味)
 (1)各々日本を出発しマカオで合流
 (2)マカオでカジノ後、香港へ。深夜便で香港出発
 (3)ヨハネスブルク経由でケープタウンに到着。オランダ・カメルーン戦を観戦
 (4)ダーバンに移動してブラジル・ポルトガル戦観戦
 (5)ポートエリザベスに移動してA組1位とB組2位を観戦
 (6)ポートエリザベス滞在
 (7)ダーバンに移動してE組1位とF組2位を観戦
 (8)(9)ビクトリアフォールズ(ジンバブエザンビア)観光
 (10)チョベ(ボツワナ)でサファリ
 (11)ケープタウンへ移動
 (12)喜望峰などケープタウン周辺観光。クォーターファイナル1試合観戦
 (13)ケープタウン出発。ヨハネスブルク経由で香港へ
 (14)昼、香港到着。夜に成田着
 ……という具合。
 当初はこれらの手配をすべて個人でやろうとしていた。ただ、ここぞとばかりに儲けにくる現地の宿はどこもべらぼうに高く(ケープタウンの場合、1泊3万4万はザラ)、かつ3連泊4連泊以上限定といった制約を課すなど条件もすこぶる厳しい。都市間移動の飛行機についても、(当時は)安い便がだいたい満席で、高いものでもけっこう埋まっていたりした。南アは国土が広いので(日本の3倍以上)、めぼしい街の間を車で移動したら20時間前後かそれ以上かかる。ヨハネスブルクケープタウンは約17時間。ケープタウン〜ダーバンにいたっては丸1日以上。つまり現実的じゃない。
 加えて、治安への不安も大きい。僕もむこっちも家庭持ちだし、とにかく今回の旅については“安全”を何より最優先にしようということを、大前提として申し合わせていた。
 そんなわけで、いっそのこと宿から都市間移動まですべての手配を現地の旅行会社にお願いしよう……とそういうことになったわけだ。
 
 「Toer Afrika」(ツールアフリカ)という名前を聞いたことがあるだろうか。私たちが選んだ、いや選んでしまったのが、この旅行会社だった。南アで活動する日本人経営の業者で、3月まるまる一杯かけて行程やオプションについて事細かに相談。レスポンスが遅いときもあったが、どの要望に対しても電話やメールで丁寧に応じてくれた。ホームページも充実し、ひと言でいうなら“信頼できそうだった”。
 最終的にこの業者で申し込もうと決断したのが、4月の頭。さすがにそろそろ全日程を確定しておきたい時期である。アメリカやヨーロッパに行くのではなく、ただでさえ何も知らないアフリカの大地だし、そのうえ治安問題がイヤというほど叫ばれているのだから、不確定は不安を生む。それがなんとか解消できそうだということで、私たちは二人分、合わせて90万円強を、同社の口座に振り込んだ。
 あとは4月下旬のバウチャー到着を待つばかり。気分はもうすっかり南アである。……しかし、4月の中頃から、mixiの南ア現地観戦コミュがにわかに慌ただしくなってきた。いわく、「ツールアフリカという業者と、4月の上旬から連絡が取れなくなっている」と。
 4月上旬といえば、ちょうど私たちが振り込みを終えた時期ではないか。mixiでは次から次へと「振り込んだあと音信不通」という人が名乗りを上げ、その数は日増しに膨らんでいった。すぐに「これはおそらく詐欺だろう」ということになり、とうとうゴールデンウィークに六本木某所で数十人が集まり、“被害者の会”が催されるに至った。この模様はテレビや新聞にも取材され、さまざまなメディアで報じられた。僕もテレビ、ラジオなど数社から、実際に取材を受けたのだった。
 この最初の“被害者の会”の時点ではまだ気づかず、事件に関する報道を見て、あるいはバウチャーが届かないことを疑問思ってもっと後にネット情報などで初めて事件を知った人もたくさんいる。おそらく被害者の数は100人を下ることはないだろう。被害額も、僕が知る限りでは最高で120万円という人もいたし、少なく見ても数千万以上であることはまちがいない。被害者の傾向は、実は海外旅の完全ビギナーはおらず(そういう人はたぶん日本の大手旅行会社を利用した)、僕らと同じように「これまではすべて個人で手配してきたけど、今回はさすがに南アフリカだから」という理由で利用した人が実に多かった。
 ツールアフリカ事件については、きちんと書くと長くなるのでひとまずこの辺にとどめておこう。今後も事後処理は進んでいくはずで、また機会を見て書くことになるであろうから。ひとまずこれを書いている7月8日の時点で、行方をくらました同社関係者の足取りはつかめていない。警察に被害届は出しているが、はたして警察は動いているのかどうか。相手が見つからなければ、損害賠償も何もあったものではない。
 
 ともかくそういうわけで、出発の6月22日まで2ヵ月をゆうに切ってしまった時点で、僕らの計画は振り出しに戻ってしまったのだ。
 いや、正確にいうなら、完全な振り出しに戻ったわけじゃなかった。僕らは南アまでの往復航空券は自前で手配済みであるわけで、しかもその航空券はW杯特別期間ということでNon-Refundable、つまりキャンセル不可料金である。取り消したところで一銭も戻ってはこない。事件発覚直後はさすがにうちひしがれて、もう南ア行きは無理かとも考えた。なにせ1人あたり45万円もの大損なのだ。さらに上乗せして出せるお金だってほとんどない。実際のところ、被害者の中にはもう南ア行きを諦めるしかないという人もいた。
 でも、これで諦めるのは悔しすぎるじゃない。だから僕らはけなげに立ち上がって、1ヵ月半後に迫った南アの旅の計画を、ふたたび練り始めたのだった。
 当初のようにダーバンもポートエリザベスもと南ア全土を巡るのは、資金的にも宿の手配的にもちょっとムリそうだった。そこで僕らは考えを一転し、ケープタウン滞在という次善の策を編み出した。全行程11泊(14日)で、往路のマカオ1泊を除けばアフリカでは10泊。そのうち8泊をケープタウンにしたのだった。残りの2泊は、やっぱりビクトリアフォールズとチョベに行ってみたいということで、そこへのエクスカーションに充てた。宿を予約し、飛行機を予約し、ケープタウンでのレンタカーも予約して、出発も迫った6月上旬にとりあえず必要な手配をすべて済ませた。
 個人での手配は、そもそもこれまでの旅で普通に慣れている。今回も実際にやってみると、ケープタウンの宿を少々郊外にすることで安く抑えられ、移動の飛行機も直前の増便のおかげで比較的安価で手配できたため、結果的に(ルートその他異なるところはいろいろあるものの)ツールアフリカにお願いした見積もりの3分の1近くの額で、基本的な行程をフィックスできたのだった。(day1へ続く)
 
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