HONDA、そして

 出発前のケープタウンのホテルから。
 南アフリカでも、ジンバブエザンビアでも、われわれが日本人だと知ると現地の人たちはみな「本田、本田!」(発音的には頭のHが落ちるようで“オンダ”)と声をかけてきた。さすが、本田の知名度はグンと上がっている。それが実感できた旅でもあった。
 ところが、この状況に、途中から変化が現れた。もちろんHONDAの名はどこでも呼びかけられるのだけれど、ある日を境に、そこにひとつの名前が加わった……そう、KOMANO。
 また本田の名を聞くのかと思えば、「コマーノ!」。なんだ、うれしいんだかうれしくないんだか。まさか駒野の名がアフリカの地に一躍知れ渡るとは。
 全体的な印象としては、南アフリカの人たちは日本のことを一所懸命応援してくれた。デンマーク戦ラステンバーグルステンブルク)のパーク&ライドからスタジアムへ向かうバスの中でも、ブブゼラの音とともに(バスの中で吹かれるとさすがにめちゃくちゃノイジー)「JAPAN! JAPAN!」の大合唱だった。パラグアイ戦を見たパブリック・ビューイング会場では、周りはそのあとケープタウンで試合が行われるスペインとポルトガルの人々ばかりだったのだけど、みんな日本の応援。日本のチャンスで盛り上がり、ピンチをしのぐと拍手が起きた。パラグアイの応援は数人しか見なかった。なぜだ。
 おっと、そろそろホテルを出る時間だ。福島と函館の重賞予想もしようと思ってたけど、時間がなくなった……てか、もう発走してるか。そういえば、オグリキャップが死んだそうだね。放牧中のアクシデントとのことで。オグリにはやはりいろいろな思い出がある。合掌。
 
 (南ア時間8:38)