8月12日と報道

 8月は透明な白の内に心がざわめく月だ。

 敗戦から64年。例年この時期になると戦争関連の特番が多くなり、そして可能なかぎり僕もそれらを見ている。
 見て、いろいろと……容易に口にできないくらいにいろいろと……考える。
 戦争の話はまたの機会に改めよう。きょう8月12日。といえば、24年前、日航123便御巣鷹の尾根に墜落したその日である。
 
 1985年8月12日、僕は高校2年生だった。
 学校は夏休み真っ只中だった。その前の週、僕は友達とふたりで小笠原に行っていた。
 東京・日の出桟橋を出たおがさわら丸が父島の二見港に入るまでの時間は、当時、28時間(いまは少し短いらしい)。伊豆諸島の脇を航行する船の中で、NHK高校野球中継が流れていた。のちに横浜大洋に入り、事件を起こして退団した中山がエースの高知商と、激戦区神奈川を制して初出場した藤嶺藤沢が対戦していた。たしか高知商が3‐0で勝ったんじゃなかったか。なにぶん昔の話で、スコアまでは覚えていないけれど。
 夕方、八丈島の横を抜けた。八丈富士と三原山のふたつの山影が海に浮かぶ乳房のようであったことを、いまでも思い出す。
 翌朝、デッキに出ると、海の色がもうちがっていた。いまでこそ沖縄や奄美で見馴れた海だけれど、当時は初めて目にした、南の海のあの深く輝くブルー。トビウオたちが船の脇で飛びはねていた。ただそれだけのことに、感動していた。
 父島には3泊した。それに加えて行き帰りの船内で1泊ずつだから、合わせて5泊6日の旅だった。
 東京に帰ってきたのが土曜日。そして2日後、月曜日の宵に、日航機が墜落した。
 その衝撃がどれほどのものであったか……それは僕がいまさら言うことでもないだろう。
 
 話変わって、今回の酒井法子さんの事件に関する報道の仕方、いつにも増してすんごい腹立つ。
 細かいことを挙げればキリがないけれど、代表的なところを2つ。たとえばあのクラブでのDJシーンの映像。
 報道側はあれを、彼女を追及する演出材料にしているようだが、見ているこちらとしては「で、それのいったい何が悪い?」という感想しか出てこない。クラブで盛り上がっている人はそれだけでアウトな人間なのか? むしろそういう予断を与えかねない演出の仕方をしている時点で、報道機関としてすでにアウトなんではなかろうか。
 もう1つ。「みんなが知っている清純派のイメージと、この(DJの映像やレイブで躍り狂う様子など)姿、どちらが本当の酒井法子容疑者なのでしょうか」……とかいうパターンの報道。そんなのどっちも本当の彼女に決まってるだろが。アナタは会社とプライベートでいつも同じ顔をしているのか? 得意げに述べ立てるアナウンサー氏はいつも君の言う“本当の自分”だけで仕事をしているのか?
 そもそも彼女はアイドルでありタレントであり、その“清純派のイメージ”を売ることが仕事だったわけだ。“本当の自分”であろうがなかろうが、それが彼女の仕事。もちろんイメージを売る仕事をしていた人間がイメージを裏切った咎は大きいし、あれだけの著名人であるから社会的責任も重大だろう。でもだからといって、同じようにテレビ業界、芸能業界で仕事をしている人間に、明らかになった事実をアナウンスするのならともかく、イメージで彼女をそこまで貶める権利があるのだろうか。
 ……まあ、冷めた見方をすれば、世の中、そういう場所なんだけどね。結局は。
 僕としては、今回の事件、もちろん驚きはしたけれど、でも、全然意外ではなかった。
 人間ですよ。彼女も。それを報道している人たちも。そして、僕も。僕らも。
 人間ですから、いろんな面があるし、いろんなことが起こりうる。
 だから全然、意外じゃない。むしろマスコミがここまでゲスな煽り方をするのかということのほうが、自分もそのマスコミの一端にぶら下がる人間として、想像できなかったというわけでなく、単に、情けない。
 
 あともう1つ。いまの時代、人々は有名人に「裏表のない、いい人」を求めすぎているように思う。
 それが社会の需要なら、それはそれで致し方ないことだろうが、でもあまりに行きすぎるとそれはちょっと物足りない。
 べつに女優が裏でイメージと異なる暮らしをしていようが、落語家の生活が乱れていようが、あるいは作家や監督がどんなに偏屈な変人であろうが、彼ら彼女らが見せてくれる作品がすばらしければ、なんの問題にもならないと僕は思うんだけれども……この考え方自体が、たぶん、古いんだろうな。
 
 きょうは夕刻から溝の口でちんめちゃんと呑んだ。
 政治、宗教、彼女、彼。いろいろと話した。
 誰かがとりわけ悪いのだということを決めようと思えば、それはそれで、できることかもしれない。
 でも、だからといって、それで歴史が解決するのかといえば、それはけっしてそういうことじゃない。
 
 僕が生まれた1969年1月は、東大安田講堂事件が起きた月であり、第二次世界大戦終結から25年もたっていない時代の話である。
 それからとうに40年が流れた。僕が生まれた年から第二次大戦までより、2009年ことし現在までのほうが、遠い。
 これはどういうことを意味するのだろうか。
 どういうことを意味するにしても、伝えるべきことは伝えなければならないと思う、2009年8月12日の夜であった。
 先の大戦国際法上の終わりを迎えて、まだわずかに、64年しか経っていない。
 でも64年も経っちゃった。だから僕は、いま、焦っているわけである。
 
 僕はしがないライターだけれど、ダメなものはダメだと言える。
 ダメなものをダメだと言える力を、いま、集結できたらと、僕は、思う。
 
 (22:42)