8月の白い陽射しの中で

 65回目の敗戦の日。戦後はもう64年になっちゃった。戦後64年のうち40年しか生きていない僕が言うのもなんだけれど……早いものだ。
 戦争が終わったとき、うちの両親はともに、すでに生まれていた。母はまだ幼かったから、記憶はそれほどにはないらしい。田舎育ちということもあり、空襲はほとんどなかった(ただ、飛行場が近かったので警報はよく鳴っていたそうだ)。一度、米軍機が、おそらく戯れで、畑の真ん中に爆弾を落としていった。それを姉とともに見たのが、忘れられないという。
 父は蒲田の小学生で、戦局が厳しくなってからは地方に疎開していた(その疎開先が母の故郷である山形だったというのも、どこか運命的ではある)。東京とはちがって木々だらけだから、よく果樹に登って遊んだと話してくれた。
 その父も、昨年秋に他界。きょうは新盆で、お寺に行ってきた。
 寺の本堂の畳の上に座っていると、裏の林でミンミンゼミが盛んに鳴いていた。寺と蝉は、本当によく似合うと思う。そのまま時間を忘れて座っていたら、やがてヒグラシが鳴きだして、そうして夕方が近づいたことを知るのだろう。
 でもそこまではいなくて、2時間ほど滞在して、帰ってきた。
 8月15日が過ぎると、暑さはまだまだ続くけれど、太陽の光が少しずつ少しずつ黄色味を帯びてくる。
 秋も、すぐそこだなぁ。
 
 ちなみに、先の戦争が終わった日は日本では8月15日とするのが当たり前だけれど(それだけ日本人にとって8月15日のイメージは強烈なのだ)、正確に言うなら降伏文書に調印した9月2日が“終戦の日”だろう。国際的には9月2日のほうが一般的で、アメリカの対日戦勝記念日(V-Jデー)も当然、9月2日である。
 
 (18:12)