1時間45分

左耳の斜め上から聞こえてくる秋の陽射し
あなたは言った、「これは老いですか」と
僕は、中途半端に理解できる外国語を早口で話されて困惑する人のように
つま先と右の膝と左の肘を交互に見やって
重い唇をゆるやかに開き
ぼそりとつぶやいた、「秋ですよ。それ以上のことは、言えません」
 
ツナ缶が道端に落ちていた。もちろん、空の
ギシギシと、不快な音を立てて夏が崩れてゆく
からだの重みに耐えかねて踵に痛みを覚えるように
きのうより高くなった空がさわやかにのしかかってきた
こんな思いを、かつて経験したことがある
あの子は、やせていた。髪は長かった
昼だった。秋の初めだった。窓は開いていた。高い空と雲が見えた。路地であそぶ二人か三人のこどもの声が聞こえた
あの子の声をこどもたちが聞いていたのかそれは知らない
ただ、空が高くて、こどもたちのあそぶ声が聞こえて
そして僕は、時間の踵に痛みを覚えた
 
夏が終わることと、会話が途切れることは、どこか、似ている
会話が終わることではなく、途切れることと
秋の初めは、始まりではなく、隙間だから
そして、僕はふと思う
「これは老いなのか?」と
 
読点の位置ひとつで人生は変わる
吹く風をどの角度から受けるのかによって人生が変わるように
すでに発されてしまったものは、受けるしかない
見えるものの、聞こえるものの、感じられるもののすべてが、発されたものだから
あらゆる遠い星は、ある意味で悪である
 
道路に定規を当ててみた
小学校で使った、木でできた、端っこがすこし欠けた定規を当ててみた
細い道路は、定規をしならせずに受けてくれることはない
大きな幹線道路であれば、その真ん中のあたりで、意識するほどはしならせずに……いやこの言い方はずるい、基本的にはしならせずに(この言い方もずるいけれど)、定規を当てることがきっとできるにちがいない
それはおそらく、現代社会において、人々の心に不安を与えないものなのだ
だからきょうも、大きな幹線道路の真ん中に、無数の木製定規が当てられていく
それは、基本的に、善なことである
 
しかし本当に、人生は変わるのだろうか。その程度のことで
出来事は、確実に変わるけれど
確率論というのは、起きていないことであり
確かめられないことであるから
たとえばこの地球に僕があと100人いようとも
それが確率論の話であるかぎり、僕には関係ない
Nothing really matters to me、であるからし
まあ、宇宙人には、あまり遭いたくもない
 
地球が回転しているという想像が、こどもの頃から僕の心をエキサイトさせてきた
祖父が愛用していた老眼鏡をかけてみたとき、僕は地球が回転していることを身をもって知った
その直後にかじったビワの味を、僕は当面忘れないだろう
医者に行って待合室で1時間45分待ったあげく、僕はようやく僕がはいている左右のスリッパがペアでないことに気づいた
この1時間45分で、空がまたすこし高くなった
 
 (10:43)