雨の枯山水

 京町家ゲストハウス「京のen」の中庭というか屋根のある共用スペースで、ひとり芋焼酎を呑みながらこれを書いている。大文字の夜はアイリッシュ音楽の演奏会が開かれた、あの中庭だ。雨は小降りあるいはほとんどやんでいるが、まだ時折パラパラと落ちてくる。その時折の雨が屋根に当たる音と、風が木を揺らす音と、そして秋の虫の声が静かに聞こえる。
 京のenに到着したのは夜の8時過ぎ頃。その前は夕方6時くらいから大雨の先斗町で、京料理のコースをいただきながら軽く飲んでいた。生麩の田楽がむしょうにうまかった。もちろん味噌は白味噌だ。
 
雨に煙る東福寺の通天橋 東山の南のほう(八坂神社より南)でいちばん好きな寺といったら、東福寺と、その周辺にある数々の塔頭(脇寺)だ。京漬物懐石のお昼を食べ終わって外に出ると、すごい雨になっていた。激しいと呼んでいいほどの雨だ。これは、雨の東福寺界隈は相当いいだろうと思い、N氏とともに四条から京阪電車に乗った。
 雨の東福寺は、やはりすばらしい風情だった。この写真は、臥雲橋から雨に白く煙る通天橋を遠望したところ。雨だから人も少ない。広々とした静かな境内とその真ん中を横切る緑の渓谷に、木々の葉や庭の苔や建物の屋根を雨が打つ音が、やさしく響いていた。この緑の木々もやがて赤く色づき、静かな東福寺にたくさんの紅葉狩りの客を呼ぶことになる。
 
 東福寺を出て、すぐ近くの芬陀院(ふんだいん)へ。ここは雪舟の築造と伝えられる、枯山水の庭園で知られる東福寺塔頭だ。
芬陀院の雨の枯山水の庭 小ぢんまりとした庭園に面する縁の畳に腰を落ち着け、雨の枯山水の庭をぼーっと眺めていると、こうしていられる時間の贅沢はやっぱりココロの贅沢だと深く感じる。
 雨、縁側、庭の取り合わせで、景観も気温も湿度も虫の数も何もかもが違うけれど、6月の鳩間島「民宿まるだい」での時間を思い出した。雨の日、一日中まるだいの縁側に座って、外に降る激しい雨を眺めつづけていた。何もない島で、何もない時間を過ごす贅沢。沖縄(や八重山奄美など)と京都はたしかに質はまったく違うし、もちろん歴史も、時間に対する態度の示し方、方向性も違うけれど、どこかに共通するものがきっとある。それが、僕が沖縄も京都も大好きである理由なのだろう。
 芬陀院の縁側に座ってしばらくのんびりとくつろぎ、枯山水の雨の景色と音を楽しんだ。そこに1時間はいただろうか? けっこう長くいたはずだけれど、その間、ほかの拝観客はひとりもこなかった。またいうまでもなく、その時間を冗長に感じることなんてなかった。
 
 芬陀院の次は、同じく東福寺塔頭の光明院を訪れた。
円い障子窓から見える光明院の庭 庭といえばここの庭も見事だ。かつて渡哲也、渡瀬恒彦酒井法子の松竹梅のCMに使われ、JR系のポスターにもよく登場するようで、いい雰囲気はある。ただちょっと芸術作品的で凝った風流に過ぎ、そこにいてあまりほっとできないというか、縁側に座ったり寝っころがったりしたい気持ちは起きなかった。そういう点では、芬陀院のほうがはるかにいい。
 光明院を出て、タクシーで高台寺近くまで運んでもらい、「鍵善良房」の高台寺店でくずきりを食べた。鍵善の高台寺店は去年もきた。祇園の本店にも行ったことはあるが、僕としては高台寺店のほうが雰囲気はいいと思う。
 高台寺の一帯も、町の雰囲気はいい(ねねの道は観光っぽくてイマイチなところもあるが)。そのうちこの辺りの料理旅館にも泊まってみたいと思う。まあ、高いだろうが(笑)。
 
 京のenに到着してから、おかみのかなさんと部屋でタイ旅行の話などしばらくおしゃべり。それから、大文字の夜と同じく近くにある銭湯へ行った。
 ここの銭湯、古きよき銭湯という作りで、こどもの頃に実際に通った銭湯と同じ感じなのである。男湯の暖簾をくぐると下駄箱があり、靴を入れて木の札を抜いて鍵を閉める。このシステムを取り入れた居酒屋などで見かける新しい木の札ではなくて、年季の入った、湿気と手垢がしみ込んでいそうな貫禄のある木の札だ。中に入ってすぐに番台。そこでお金を払う(京のenで割引券を買ってくるので、まあ割引券を渡す)。番台の横にはガラスケースがあり、シャンプーやリンス、石鹸などが入っている。中にそれらのものは備え付けられていないから、必要があれば買う。もちろんいつも通っているなら家から自分用のものを持ってくる……とまあ、ある程度以上の世代の人には細かく説明することもないが、まあレトロで、なつかしい感じのステキな銭湯だ。レトロというと自分の人生自体をレトロといっているみたいで、ちょっとあれだけれど。
 東京ではいま銭湯がどんどんとなくなっているし、残ったところも妙にきれいになっていたりする。京都もだいぶ減ってきてはいるようだが、こういう古きよき銭湯になんとかして残ってほしいと、切に願うばかり。京のenにきてこの銭湯を使う楽しみができたのも、ほんとよかったのである(なお参考までに、京のenにもシャワーはありますw)。
 などと書いていたら、もうまもなく深夜の零時。気づくと雨はすっかり上がっている。 (23:55)