若狭国・小浜へ

 高岡を出て北陸線敦賀まで行き、敦賀小浜線に乗り換えて、若狭国・小浜にやってきた。「こはま」じゃない。「おばま」だ。
 小浜といえば、最近でこそ北朝鮮に拉致された地村保志さん・浜本富貴恵さん夫妻のイメージが強いだろうが、もともとは古くから京都と縁の深い町である。地図を見ていただければわかるはず。小浜から京都は、もうすぐそこなのだ。
 小浜と京都を結ぶ道を「鯖街道」と呼ぶ。読んで字のごとし、若狭湾のサバを京都まで運んだ道だ。鯖街道はひとつではなくいくつかルートがあったらしいが、「京は遠ても十八里」というように、どのルートも大概は70から80km程度の峠道であった。ここを江戸の昔、だいたい2日で京都の出町柳まで歩いたという。そんな話を聞くと歩いてみたくもなるのだが、いちおう明日は午後1時に鞍馬で友達と待ち合わせをしているので、歩くのはまた次回ということにしよう。
 さて、このように若狭、とりわけ小浜は京都とのつながりが深い。上にも書いたように明日の午後には京都へ戻るので、こうして前日に小浜までやってくるのは理のある話でもあるわけだ。1両編成・ワンマン運行の超ローカルな小浜線で小浜に到着し、まずは宿探し。小浜に行くことは今朝決めたから、もちろん宿は取ってない。駅前の観光協会でちょっと調べて、真珠浜に近い「民宿 さわ」というよさげな宿に決めた。
 ところで真珠浜というのは、僕が小浜でいちばん好きな場所のこと。かつてはこの浜で、何もせずにひたすら海を眺めていたこともあった。ここ数年はきておらず、4年と2ヵ月ぶりの訪問だ。ちなみに夏は海水浴客やダイビング客などけっこう人が多いので、真珠浜に行くならぜひ人のいない時期をおすすめしたい。閑話休題。駅から小浜の町を散歩しつつ*1、“人魚の浜”と呼ばれる小浜のメインの浜辺沿いにある「民宿 さわ」へ。宿の主人と少し話して部屋に荷物を置き、また散策に出かけた。小浜の三丁町界隈
 
 この宿のある海岸エリアのすぐ裏手には、紅殻格子などの古い家並みがたくさん残る「三丁町」という界隈がある。さすがは京文化の影響が色濃いところで、要はかつての茶屋町だ。京都や金沢といった都会ではないから、通りを歩いているととても静かで、虫の声が聞こえてきたりするのも一興。いい風情である。小浜にここ以外にも古い町並みがけっこうたくさん残っている。小浜という町にそういう姿があるということは、案外知られていないかもしれない。
 三丁町から、高成寺というこれまたいい感じの寺を通り、小浜公園へ。ここは小高い丘になっていて、上に登ると展望台があり、眺めがすばらしい。この展望台は、地村さん夫妻が拉致された場所でもある。
 小浜公園から海沿いの道を小さな半島を巻くように上っていくと、真珠浜にたどり着く。道は崖の上を通っているので、浜までは階段を下りていく。真珠浜というのは3つの浜の総称で、いちばん手前の浜から海伝いに次の浜まで歩いていける。
真珠浜の夕陽 この真珠浜で、夕陽が沈むまでずっと海を見ていた。ほかに人が5、6人いたのは残念だったが、まあこの時期だから仕方ない。ここから見る夕陽は、海ではなく、若狭湾の向こうに見える山に沈む。その瞬間を撮ったので、載せておこう。右の写真はかなり小さいが、写真をクリックするといくらか大きな写真が表示されるようにしてある。
 
 夕暮れのあと、宿に戻って夕食をとった。海は真ん前だから、食事も海の幸がいっぱい。普通におなかいっぱいになった。4月に行った佐渡の民宿を思い出した。あすこは食事が相当豪勢だった。佐渡といえば曽我ひとみさんのところだ。偶然だけれど佐渡と小浜を同じ年に訪れることになったわけか。
 食後、すっかり暗くなった小浜の町を1時間ほど歩いた。夜になってからは完全に涼しい。てか微妙に寒い風もときどき吹いてくる。浜辺では若者や家族連れが花火を楽しんでいるし、海の家でビールを飲んでいるグループもあるけれど、さすがにもう夏は終わったという感じが強くする。
 散策中、いくつもの町角で、太鼓や笛、謡い、鉦、踊りなどの練習をにぎやかにやっていた。9月17、18日に八幡神社で行われる放生祭(ほうぜまつり)の出し物だとのことだ。この祭りは小浜の24の地区(町会)がそれぞれ神楽や太鼓、獅子舞、山車、神輿などを披露するそうで、宿のおばさんに祭りのときもおいでと言われたけど、たぶんその日程だと厳しいだろう。残念。
 さあ、明日はふたたび、京都だ。 (23:59)
 

*1:小浜にきてかならず寄るところといったら高井サイクルセンターだが、まあいちおう今回も寄った(笑)。