12月8日

 人生43回目の、あるいは人生32回目の。
 前者は、まあ、いうまでもないけど僕は現在42歳なので、人生で43回目の太平洋戦争開戦の日である。
 後者は、1980年12月8日から数えて。言い換えれば、ジョン・レノンの32回目の命日ってことだ。
 正確にいうなら、いまから31年前の日本時間1980年12月8日その日に、ジョン・レノンが死んだことを、僕はまだ知らなかった。だって、ジョンが死んだ“8日”はニューヨーク時間であって、日本ではもう9日の午後1時になっていたんだから。
 当時小学6年の僕が聞いたのは、9日の夕方だったと思う。
 そう考えると、日本人の僕にとって、後者の12月8日は、実は31回目なのかもしれないね。だからといってジョンの命日が12月9日であるとは、そりゃあ思えないけれども。
 一方の真珠湾のほうは、ハワイ時間は12月7日だったけど、これはやっぱり日本人としては12月8日なんだろう。「日米開戦は12月7日」って考えている日本人は、おそらくほとんどいないでしょう、やっぱり。
 
 ところで、1941年12月8日のいわゆる太平洋戦争開戦って、アメリカを相手とした真珠湾攻撃よりも、イギリスを相手にしたマレー半島上陸作線のほうが開始時間は早かった。いま「12月8日の太平洋戦争開戦」というと、ほとんどの人が真っ先に真珠湾を思い浮かべるのだろうけれど(もちろん僕もそう)、それはやっぱり真珠湾が、あまりにセンセーショナルだからなんだろう。
 日本側からすれば奇襲の(表面上)華々しい成功、アメリカ側から聞かされる「リメンバー・パール・ハーバー!」の声、「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、今8日未明、西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」という、これまでの人生でいったい何度聴いたかわからないラジオ放送のアナウンス(いまやってる朝ドラの「カーネーション」でも、やはり開戦の日のシーンで流れていた)、そして、たぶん「真珠湾」あるいは「パール・ハーバー」という地名自体が持つ、美しい響き。
 最近、よく考えるんだよね。もし僕が1941年12月8日に、あのラジオ放送を実際に聞いていたとしたら、どういうふうに感じ、どういう発言をし、どういう行動をしたろうかって。昔から時々そういうことは考えたんだけれども、最近はその機会がとみに増えていて。なぜなんだろう。
 僕が生まれる27年1カ月前の、その放送を。
 ……きょうもそう考えて、そう考えたあと、ああ、ジョンが死んでからきょうまでの時間のほうが長いんだって、思った。
 ジョンが撃たれたダコタハウスを初めて見たのはほぼ20年前、リバプールの街を初めて見たのは18年前、真珠湾を初めて見たのは8年前、ミッドウェーを初めて見たのは5年前だった。
 何年前何年前って、ほんと、年の話ばっかだな。年とったってことかな、やっぱ。
 
 (9日02:48)