僕の時間

 この歳になると、人生について、仕事について、時間について、いろいろと考える。
 20年前、大学生だった頃の話はついきのうのことのように思い出すけれど、冷静に考えよう、僕が大学を卒業したのは18年前、1992年のこと。現役で入ったが1年留年してるので、高校同期のやつらの多くは前の年に卒業してるが、僕はまあそういうわけだ。べつに浪人したわけではないし、留年もしてみたかったからしたわけだし。
 で、25年前となると、1985年。高校2年生。日航機が御巣鷹の尾根に落ち、おニャン子クラブがデビューした年のことである。僕はその頃のことも、やはりついきのうのことのように思い出す。もちろん、ついきのうなんかじゃない。
 25年前というのは、けっこうとんでもなく昔のことだ。いままで何度も使ったたとえだけれど、僕が生まれたのは1969年の1月だから、その年から25年前といったら1944年、つまり戦時中なのだから。僕が生まれた年に僕がいまの年齢だったら、やっぱりきのうのことのように覚えていたろう。戦争のことを。
 僕は16歳だった。だから戦地には行っていない。きっとどこかの工場で、勤労動員で働いていたんだろう。そして、僕が生まれ育った東京の蒲田の街は、空襲もたびたびあった。ことによると、僕は41歳を迎えることはなかったかもしれない。
 現実の、2010年の僕は、いま41歳。生まれた1969年から41年前を考えてみると、1928年、昭和3年という計算になる。関東大震災からたった5年後。昭和天皇即位の礼が行われ、張作霖爆殺事件が発生し、アメリア・エアハートが大西洋を横断した年だ。
 さらにその41年前は? 1887年。明治20年。さらにさらにその41年前は、1846年、もちろん江戸時代で、坂本龍馬10歳である。
 やっぱり昔のことだ。だけども、僕がたったの数人、縦に重なったら、もう龍馬に届く。それは本当に昔のことなの? いま10歳の子が同じように縦に数人重なったら、やっぱり僕が10歳の頃に届く。なんだ、やっぱりそんなに昔ではないじゃない。
 だけどもやっぱり、昔なんだ。
 
 ともかく。いまから41年後は、2051年。21世紀も半分を過ぎた。82歳の僕は、おそらくこの世にいない。
 そのときこの世に生まれた子が、41歳になった2092年、僕が生まれた1969年のことを考えたとしたら、はたしてどういうふうに思うんだろう。
 平和であるといいな。これから、2092年までの何人もの僕の時間が。
 
 (23:41)