枚方の時間階段

 この数日の雨模様も、きょうの午後にはいったん終わって、雲の合間に小さな青空ものぞくほどになった。西陽がうっすらと射し、心地よくすらある。西の強烈な太陽にうんざりしていたのは、まだほんの半月前。思えば粘りに粘ったことしの夏も、遠ざかり始めたら早かった。なんのためらいもなく長袖を羽織り、打ち合わせに向かうため、夕方家を出た。
 9月とはいえまだまだ暑さが盛っていた頃の話である。取材で大阪は枚方に出かけた(その帰りに伊丹空港激辛の「いたみカレー」に出合ったわけだが)。朝一の便で伊丹に飛び、梅田のWINSで何レースか馬券を買ってから、環状線、京阪と乗り継いで枚方市駅に降り立った。
枚方のイタリア料理店「amico amica」 到着したのが集合時間よりけっこう早かったので、近くのスタバに入って仕事をしながら時間をつぶしたあと、駅の改札で他のスタッフと合流し、ひとまずランチがてら打ち合わせをしようと、駅近くの小ぢんまりとしたイタリア料理店「amico amica」に入った。
 ランチセットはトマトとモツァレラのスパゲティに、かぼちゃの冷製スープとパンが付いていて、メインのスパゲティもよかったがとりわけスープが美味だった。量はまあおとなしめで、瀟洒な店構えと、窓際でフランス人男性が日本人女性と静かに語らいながらコーヒーを飲んでいたその雰囲気は、まったくもって大阪っぽくなく、一言でいうならおしゃれな店だった。コーディネートしてくれた女性スタッフの趣味なのかもしれない。
 で、きょうの本題はそのおしゃれな店とは何も関係ない。店を出て、駅へ戻る道すがら見かけたのが、右の写真の建物である。枚方の謎の階段駅にほど近い近鉄百貨店の裏側だ。無数の階段が、壁にびっしりと張り付いている。すべての階段は、べつに飾りではなく、おそらく実用に供されているのだろう。それぞれの先にも途中にも、いちおう扉があった。
 けれど一見したところ、これが本当に実用的なものには思えず、やっぱり何らかのジョークというか遊び心の賜物のように眺めてしまう。異様ともいえるし、未来的と感じなくもない。メーテルの星の工場には、きっとこんな階段が設えてあって、金もないのに機械の身体を手に入れてしまった人びとが昇ったり降りたりしながら一日中働かされ続けているのだろう。
 ただ、僕はそこで思い止まった。考えてみたら、僕はこれまでの人生で一度たりとも、百貨店の建物の裏をしげしげと見つめた経験はないような気がする。百貨店でなく、それこそどこかの工場でもいいんだけれど、とにかくこの一見異様な階段の重層化された波が、とても珍しいものなのか、それとも実はよくあるものなのか、あるいはよくはないにしてもそれほど珍しいものではないのか、自分のこれまでの人生経験だけでは判断できないことに気づいたのである。
 そう考えると、はたしてこのトリッキーなオブジェがきわめて合理的なシステムである可能性も、僕には否定できないのであった。人間の知識なんて、返すがえすも頼りないものだ。
 にもかかわらず、僕がもしこどもであったなら、ここは最高の遊び場になるであろうことは間違いない。基地だ。敵の基地に違いない。僕は(いまの僕にはもろもろの事情から不可能と思われるのだけれど)どれかの階段を軽快に駆け上がって、別の階段にうまく侵入した友達と連絡を取り合い、秘密のミッションを遂行するだろう。
 オトナに見つかったら、僕らは囚われの身となる。すべてのオトナを警戒すべし。戦利品は家に持ち帰らず、神社の社殿の裏の僕らだけのベースに隠すのだ。いや、僕は実際にいくつものアイテムをそこに保管していた。学校が終わると神社に直行し、それらのひとつひとつを確認したではないか。
 あれらは、あれからどうしたろう。ある日までは確実に僕らの宝であって、ある日を境に見向きもしなくなり、いつしかその存在すら忘れてしまったあれらの品。
 境となった瞬間に、一体どんな大事件が発生したというのか。思い出そうとしても、思い出せない。ただただその苦々しい、苦々しくもどこかすがすがしい時間の遠い向こうに、いまの僕より迷いがなかった1970年代の日本の東京の少年の姿を、垣間見るだけである。
 
 (18:13)