暖

 なんだ、きょうの暖かさは。先週の沖縄より全然あったかい。東京は最高気温が20度を超えたとか。
 立松和平さんがなくなった。名前や、その暖かなしゃべりに反して、心の中ではけっこう戦ってた人だと思う。なんだろう。彼のやわらかいあの声には、癒しはなかった。癒しへの渇望があった。べつに彼の作品でこれといって好きなものはなかったし、すごいと思うものもなかったけれど、癒しの衣をまとったその風貌、人となりの中に、僕は僕なりに彼とそれなりに近い何かを感じないでもなかった。My condolences.
 きょうは夕方まで家で仕事をして、そのあと打ち合わせ&呑みで都心方面に行った。4人で3時間半呑んで、1人あたり3000円とか。安い。僕は新潟・中越の越乃景虎の純米を、たぶん四合くらい。この程度だといい感じの酔いだ。そういやサリンジャーも死んだんだったな。実家でサリンジャーの本を何冊か見つけてきて、ひさしぶりに読もうかと思ったんだけど、家に帰って実際に手に取ったのはこれもひさしぶりのアップダイクだった。僕はどうして翻訳の日本語が好きなんだろう。でもサリンジャーは、やっぱりすでに時間の遠い彼方に置いてきた気がする。いまさらサリンジャーでもないよな……そう思ってしまったところに、まだ何年何十年かあとにサリンジャーをもう一度読み返すかもしれないという担保を残しておいた。
 水を、飲むんだよ。水道の水ではなくて、500mlのペットボトルの内部に閉じ込められた、動かない水を。水は流れてこその水だ。
 止まった水なんて、20年以上の時間を経過したサリンジャーより、はるかに骨董品だ。骨董品をいまさらからだの中に入れることに、いったいどんな意味がある? おぉ、季節よ、おぉ、城よ。そうして僕は、時間がもたらす残酷な意味を、きょうもセラミックの感情で、静かに思索するのだ。
 蒲田到着。
 
 (23:09)