まもなく木枯らしの季節

 ようやく、手がちょっとかじかむようになった。水道の水はまだあんまり冷たくないんだけど。まあいずれにしても、手袋の季節ですなぁ。
 ここ数日、日記書くのをサボってた。べつに何があったわけでもなかったわけでもないけどね。
 その間、世間ではいろんなことがあって。島根の女子大生殺害事件は、ほんと腹立たしい。むしょうに憤りを覚える。どうしてこの日本に、いやこの世の中に、あんなことをできる人間がいるのだろう。最近話題の東京と鳥取の30代半ばの女の事件もそう。
 そういう怒りは、若い頃よりいまのほうが、さらになおさら強く覚えるようになった。人が殺されるということに、どんどんと敏感になっている。今後もっと歳を重ねるごとに、もっと敏感になり、もっと怒りは強く……あるいは、怒りより悲しみみたいなものが増していくのかもしれないと、40歳の僕は想像している。
 女子バレーを見ながら、そんなことを日記に書こうとしていたちょうどそのとき、市橋が捕まったとニュース速報が入った。それから市橋が東京駅に着くまでは、市橋一色のテレビを、見まくったねぇ。東京駅のホームのあれは、ちょっと最近なかったような物凄いことになってましたな。
 バレーボールは、もともと見るのが好きだったし、プレーするのも好きだった。中学校の2年のとき、バレー部の顧問に入部を誘われて、どうしようかと悩んだけれど、結局やめた。バレーは好きだったけど、その顧問はいまいち好きじゃなかったから(のちに弟はその顧問のもとで3年間バレーをやったけれど)。
 で、僕が中学の頃というと、1年のときにワールドカップがあって、女子はユニチカの広瀬がアメリカのハイマンのスパイクを拾いまくって大活躍していた。僕はバレーの雑誌を買ったりもしていたし。
 でもいつの頃からか、あまり見なくなった。ルールが変わってバレー自体にあまり興味を持たなくなったこともあったけど、とりわけ最近は、メディアの騒ぎ方がイヤでイヤで。選手ひとりひとりに付けたキャッチフレーズとか、見るだけで耳にするだけでこちらのほうが恥ずかしくなっちゃう。
 今回のグラチャン(この呼び名はイヤだけど)は、日テレだからなのか、某局みたいに選手が映るたびに恥ずかしいキャッチフレーズがテロップで出ることもないから、まあまだマシ(イモトは微妙だが)。世界のトップには差があるのに“火の鳥ニッポン”とかどうかと思うけど、まあチームのそういうネーミングくらいは許してやってもいいかと思う。ブラジル戦で劣勢をひっくり返して第1セットを取ったのはすごかったね。でもそこまでというのが、日本バレーの現状でしょう。
 話替わって、天皇在位20年ですか。いまの天皇の顔や言葉や物腰を見てたら、あれが戦争の象徴になんてなりっこないって思う。時代が変わって、国民の皇室に対する立場も変わった。なにせベルリンの壁だって、崩壊からもう20年が経過したのだから。先の大戦を直接経験した人の存在はもちろん貴重な財産で、彼らの話は最大限の努力をもって次代に伝えてゆかなければならないけれど、そのことにダイレクトに関わる戦前戦中の天皇と、戦後の天皇、それも“人”そのものが次の代になっているいまの天皇とは、まったく別の話だと僕は思う。日本国憲法に言う象徴としての天皇は、もしかしたらいまの天皇になって初めて実現したものなのかもしれないよ。
 天皇の話が出たからってわけじゃないけど、今週はエリザベス女王杯。長らく逃げてた市橋が捕まったから、エ女杯も逃げ馬の勝ちはないだろうな……と思う。そういえばきょう、オバマが来日した。都内は厳戒体制。何かと警察が活躍する週だ。あと今週はもうひとつ、森繁さんが亡くなったな。
 
 (18:59)