いくつかの杉に寄せて

多摩川のテントウムシ ゴールデンウィークの初め頃、多摩川の河原へ散歩に行ったらテントウムシがいたのでパシャリ。そしたら先日、ベランダでも見かけた。
 
 そうそう、ゴールデンウィークといえば、すでに書いたけれど2泊3日で山形に行ったのだった。
 山形の天童は母の実家なもので、今回はうちの奥さんを初めて連れていった。1泊目は親戚の家に泊まり、呑み、2日目はそこの車を借りて雪の壁が残る蔵王エコーラインを上がって高原のペンションのハイジの屋根裏部屋みたいなところに泊まった。このとき凍っていたお釜の写真は、春の天皇賞の日に掲載したはず。
 蔵王エコーラインの雪の壁
 母の実家は母屋の建物が築120年とかで、蔵に至っては400年前からあるらしい。ただ、その家に住む従兄いわく、「400年前なんて誰も見てねえからほんとかどうかなんてわかんね」だと。とはいっても天正時代(16世紀後期、信長・秀吉の頃)にどこかエライ人から与えられた何かが蔵の奥に証文とともに残っているらしいから、400年以上前から母の先祖がここに住んでいたことはどうやら確からしい。
 築120年の母屋のほうは、さすがに120年も経つといろんなところがガタガタで、一部改築してある。僕は小学校の頃、毎年夏休みは1ヵ月泊まりに行っていたけど、その頃はまだ古いまんまだった。改築したのは僕が高校の頃だったと思う。20年ちょっと前ってことか。
 一部改築したとはいっても古い部分はまだけっこう残っていて、障子の下にはめ込まれた杉板は長い歳月で縮んでしまっていた。
 天童の山沿いの地区でも、これほど古い家屋はもうほとんどないらしい。うちの奥さんは「文化財にきたみたい」と驚いていたけど、たしかに古いことは古い。でも奥さんの実家だって80年くらいになるのだから、やっぱり古い。
 古い家は、冬寒いけど、やっぱりどこかいいもんだ。
 蔵の脇に竹林があって、従兄がタケノコを引っこ抜いてた。「庭でタケノコが採れる!」とこれもわが奥さんは驚いていた。
肉そばの「立花」 帰る日の昼食は、河北名物・肉そばの店に行った。
 肉そばはあっさりした鶏がらの冷たいスープにほどよい硬さのそばが入ったもの(あたたかいのもある)。たぶん二日酔いなんかにもいいんだろうと思うが、僕は二日酔いではなかったから、ビールを飲みながら肉そばを食べた。食事後、若松観音に寄って、午後の飛行機で羽田へ帰ってきたのであった。若松観音というのは、あの花笠音頭にも歌われているのでご存じかもしれない。「♪めでためでたの 若松様よ」の、天童にある縁結びのお寺である。開山1300年で、境内に開山の頃からあるという「千年杉」がある。
 閑話休題。山形はやはりそばどころ、そしてなにげにラーメンどころでもあるという。まあラーメンも時にはいいけど僕としてはそばのほうがいいな。ちなみに「立花」というこの店の肉そばのスープは、そのままあっさり系ラーメンのスープにも使えそうな味わいだった。
 
屋久杉? 上に杉が2度出てきて、思い出した。右の写真、はたしてどこで撮ったものでしょう。
 正解は屋久島……ではなく、日光でも吉野でもなくて、東京湾をちょいとまたいだ向こうの木更津。ゴールデンウィーク最後の週末、奥さんの実家の木更津に泊まりにいった。家は港の近くだけれど、日曜の昼、奥さんと奥さん母の3人で木更津の丘の上のほうをドライブした。
 のどかな景色が広がる里山に、高倉観音という真言宗の古刹がある。正式名は高蔵寺。なんでも創建は6世紀末とのことで、藤原鎌足とのゆかりもあるらしい。本当だろうか。この寺の周辺には鎌足という地名が残っているし、境内には近隣の民家から移植された「鎌足桜」なる木もある。
 この寺、高床になった本堂の下がなんともいえず微妙なB級ワールドとなっているんだが、それについては実際に訪れて確認していただくとして、写真の杉の木、これは本堂のすぐ裏手に立っている。こちらは若松観音の千年杉ほどは古くないものの、それでも樹齢500年を数え、名はといえばやはり「鎌足杉」。その巨木を仰ぎ見て、ズルイ感じに太陽光線を入れて携帯のカメラで撮ってみたら、まるで秘境の杉のように見える結果になった。
 ……とまあ、そんなこんなのゴールデンウィーク。GWの話をなぜいま頃書いているのかっていったら、単にのんびりしすぎていただけの話である。ほかにとくに意味はない。
 
 (1:25)