座間味島の話

 さてそんなわけで、本年2回目の沖縄。昨年末の香港・マカオ、先月の沖縄、さらに前回の大連に続いて、JALマイレージを利用した。さすがにマイルも残り少なくなってきたが。ちなみに今回は、ふぃとの二人旅。
 で、東京に帰ってきている。
 
ホエールウォッチングに向かう 26日の日記にも書いたように、那覇から高速船「クイーンざまみ」で50分の慶良間(けらま)列島・座間味(ざまみ)島に着くとすぐ、ボートに乗りホエールウォッチングに出発した。24、25日は曇りか雨だったがこの日は朝からすばらしい晴れ。ただし波はまだいくらか高く、全般的には穏やかだったものの、時折立っていられないほどの揺れになった。ガイドの人にいまの波の高さはどれくらいかと聞くと「1.5m程度でしょう」との答え。この日は外洋に出ると3mほどだったそうだが、そうなるとまず立っているのはムリだろう。海に落ちる覚悟があるならいいけれど(笑)。まあ、僕は船で酔った経験がないので、揺れてもまったく問題なし。
 クジラはいつも決まった場所にいるわけではなく、当然ながらその日その時間によって移動する。これも26日に書いたとおり、島の山の上から座間味ホエールウォッチング協会の人が常に観察していて、いまどこに現れた、親子連れだ、などと船上のガイドの人に連絡がくる。この日は座間味島と阿嘉(あか)島の間にある狭い海峡に現れたので、外洋に出ずともクジラを見ることができた。揺れている船の上で撮影も難しいが、すぐ近くに浮上したときはこの程度は撮れた(携帯電話のカメラでは厳しかろう)。跳び上がってカラダをひねって着水したりなど、ほぼ2時間の間クジラを楽しむことができた。
 
 ザトウクジラ登場
 
 昼すぎにふたたび座間味島へ上陸。人口670人程度の島なので、宿以外では食べるところもあまりない。港に面した食堂はホエールウォッチングの客で一杯だった。先ほどクジラを見た海を越して阿嘉島を望む窓際の席でパパイヤチャンプルーを食べた。
「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩之地」の碑 港から集落へ入るところに小さな店があって、その前の木陰に「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩之地」という碑が建っている。意外と知られていないところだが、沖縄戦で米軍が最初に上陸したのは沖縄本島ではなく、ここ慶良間列島の座間味、阿嘉、慶留間(げるま)島。1945年3月26日朝のことだった(隣の渡嘉敷島上陸はその翌日)。これらの島々では住民が集団自決を命じ、実際に数多くの民間人が亡くなっている。座間味でも177人が犠牲になったという。慶良間は近年、世界有数のダイビングスポットとして注目を浴び、美しい海やホエールウォッチングで多くの観光客を集めているが、わずか60年前にこのような歴史もあった。
 
 この日は前日までと打って変わって気温も上がり、ビーチでは泳ぐ人たちもいた。下の写真は民宿のすぐそばにある阿真ビーチの夕日。ケラマジカの生息地でもある無人島の屋嘉比島の上にきれいな夕日が沈んでいった。
 離島は夜も楽しみ。晴れていると、そう満天の星だ。26日は夜の8時頃は雲がかかっていたが、本土では見ることが難しいカノープスりゅうこつ座のα星)が南天に神々しく輝いていた。
 民宿のテラスで23時頃まで泡盛を呑み、いったん寝て、月が沈んだ午前3時頃に起き出した。この時間になると雲はすっかり消えていた。真っ暗なビーチに出て星を眺めた。これまた本土ではなかなか見えないケンタウルス座の星々が南の空低いところに連なっていたが、残念ながら南十字星があるとおぼしきところには阿嘉島の島影があり、見ることができなかった(水平線近いので、阿嘉島がなくても見えたかどうかはわからないが)。
 
 阿真ビーチの夕日
 
 (17:07)