Uji・Fushimi・SakamotoRyouma・oRyousan

◆旅の終わりの……

 18時頃、N氏は東京へ帰っていった。さて僕はどうするかなと考えた。
 まだ帰りたくはない。でも旅というのはどこかでケジメをつけなければならない。かならずいつか終わらせなければならないのが、旅というものなのだ。この言い方はちょっと負け惜しみじみているけれど、旅をやめずに暮らしていくことが現段階で実際にできない以上は、諦めざるをえないことである。寅さんがうらやましい。
 The other phase of real life. 旅をそう規定すると、それゆえに、そこにはもうひとつの現実生活が前提としてある。その切り替えポイントが、ケジメというやつだ。いわば結界を行き来するようなものである。どちらが結界の中でどちらが外なのか、それは人によっても異なるだろうし、簡単には言えないのだけれども、この見方でいう限りは、結界の内も外もどちらともが、現実の世界であるには違いないということだ。
宵闇に耀く京都タワー ケジメということを考えたときに、きょうは8月31日である。9月へまたがずに終わらせること、8月の中だけで終わらせるという発想は、つまるかつまらないかは別として、ケジメの大きなきっかけにはなりうる。ここで終わらせずに9月へまたいでしまったら、僕はさらにこの旅を終わらせることが難しくなるかもしれない。漁師がよい潮をつかみ、サーファーがよい波を逃さず捉えるように、僕もこのきっかけをよいタイミングとしてしっかり生かさなければならないのだ。
 そう決断して、東京へ向かうのぞみ号の指定券を買った。指定席だから、もちろん乗る電車と乗る時間は決まっている。ここまで縛ればもう諦めるしかないはずなのに、にもかかわらず僕は京都駅の烏丸側中央口の改札の前で、中に入ろうとせず、うろうろ、うろうろとしていた。このまま東京へ帰らずに、京都から直接、沖縄へ飛んでいきたい……そんなことも、考えたりしながら。駅前の京都タワーはいつしか、薄明るい夜空に巨大なロウソクとなって輝きだしていた。
 

◆「ますたに」のラーメン

 ああ、くだらない前置きが長くなって申し訳ない。きょうは朝10時頃に京のenを発って、白川通から今出川通へと歩いていった。
 今出川に入り、通りの歩道ではなく疎水沿いの裏道を歩いていたら、一軒のラーメン屋から大きな黒いリュックを背負った青年がちょうど出てきた。彼が閉じる戸のすき間から見えた店の中は、まだ朝の10時過ぎなのに大勢の人。平日の朝からこんなに混んでいるラーメン屋ってなんなんだ、そんな興味を持ち、N氏とともに入ってみた。
 店内は、入り口から奥に延びる7人程度のカウンター席と、その向こうには詰め込めば10人入れる狭い座敷席。そのとき店内にいたのは僕ら以外に7人で、すべてが地元あるいは近場の人のようだった。メニューはシンプルで、ラーメン、チャーシュウメン(表記ママ)の並・大盛と、ごはん。あと何か一品書いてあったはずだが、お漬物だろうか? まあその4種6品だけである。
 小さめの器に入ったラーメンは、細い麺とややこってりのスープ、やわらかなチャーシューが、調和という域を超えて一体化していた。まるで一緒に煮込まれたかのような溶け込み具合だった。賛否両論はあるだろうけど、僕としては味わいのあるうまいラーメンだと思った。
 何日か前に、京のenのおかみさんがmixiのコミュニティで推奨していたラーメン屋があったのだが、名前を失念していた。あとで調べたら、それがこの「ますたに」だったようだ。ラーメンをおかずにごはん(たくあん2切れ付き)を食べるのがツウな食べ方だとのこと。次回はそれを試してみよう。
 ★「ますたに」…京都市左京区北白川久保田町26
 

◆宇治は茶、金時

 ラーメン後、吉田山の北から京大の横を抜けて百万遍の交差点まで歩き、そこで七条経由京都駅行きのバスに乗った。バスは東大路通を南下。馴染みの深い八坂神社前を走り、七条通烏丸通と曲がってJR京都駅に着いた。これが11時20分頃だったろうか。コインロッカーに荷物を入れ、JR奈良線で宇治へ向かった。
 平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像と天蓋の平成大修理がきのう終わったという話を聞いて、このタイミングはつまりアミダニョライ様が僕らを呼んでいるに違いないという結論を勝手に下し、本日さっそく宇治を訪れたワケである。
 ところが、平等院に着いて入り口で拝観料を払い終えたその瞬間、受付のおばちゃんの口から予想もしなかった新事実が。「お堂(アミダニョライがおわす鳳凰堂)の公開は明日からですよ」……おい、先に言えよ(笑)。まあべつに宇治までわざわざきたわけだからアミダニョライなしでも中に入りますけど〜、カネもらってから言うな〜って話でもある。
 それでもまあ「平等院ミュージアム・鳳翔館」で展示されている仏様の表情にココロ和ませなどしつつ、平等院を出て、通りからおっちゃんがそばを打っているところが見えるそば屋さんに入り、宇治ということで茶そばとそばいなり(おいなりさんの中にそばが入っている)をいただいた。まあ、まあまあ。
「通園」の宇治金時ソフトクリーム 食後は、紫式部の像に挨拶して宇治川にかかる宇治橋を渡り、対岸へ。すぐに京阪宇治駅から伏見へ向かうつもりだったが、橋のたもとの永暦元年(1160年)創業という超古い茶店「通園」で「宇治金時ソフトクリーム」という文字が目に留まった。食うでしょ、当然。500円とソフトクリームにしてはお高いけれど、それもそのはず。さすが宇治だけに香り豊かな抹茶ソフトクリームに、茶だんご、栗、そして宇治金時*1がのっている。豪華絢爛! 流れの速い宇治川を眺めつつ、あっという間に食べ終えてしまった。
 宇治はやっぱり茶、そして金時なのである。
 ★茶屋「通園」…宇治市宇治東内1
 
 ああ、あともうひとつ。上にもちょろりと紫式部の名前が出てきたけど、宇治といったら「源氏物語」。より正確にいうなら源氏物語のラストを受け持つ「宇治十帖」。
 下の写真は宇治川に架かる宇治橋のたもとの紫式部の像。べつにこれ見たからって感動はないけど。後ろの宇治川宇治橋を見ているほうが全然いい。あと、橋を渡った向こう側のたもとに「通園」がある。
 源氏物語、僕は高校のときに全部読んだ。原文で。
 宇治橋のたもとにある紫式部像
 

寺田屋初訪問

 京阪の宇治線に乗って観月橋駅で降り、伏見をのんびりと歩いていった。
 伏見といえば清酒の町。「月桂冠大蔵記念館」で伏見の地下から汲み上げた名水を味わい、酒造り関連の展示物を見て、ちょこっと利き酒(ちょこっとしかくれなかった)。黄桜酒造の「キザクラ・カッパ・カントリー」にもちらっと寄った。
伏見の寺田屋 そしてこのあと、寺田屋へ。ここは昨年夏に友人5〜6人で催した“2004・夏・京都・新選組ゆかりの名所を歩き回るツアー”*2では日程の都合で訪れることができなかったところ(「友人5〜6人」というのは、ツアー開始時は5人だったのが、途中でN氏が合流して6人に増えたからである)。
 寺田屋は、幕末ファンには言わずと知れた、のちに坂本龍馬の奥さんになるお龍(りょう)が風呂場から裸のまま階段を駆け上がって龍馬に急を知らせた旅籠である。龍馬が撃ったピストルの弾痕、おりょうさんが入っていた風呂などが当時のままに残っている。まあべつに僕は龍馬フリークじゃないので、龍馬云々おりょう云々というよりも、江戸末期の旅籠の雰囲気を垣間見ることができたのが楽しかった。
 
 夕方、京都駅へ。N氏とお茶を飲んだりメシを食ったりして、きょうの日記の最初の部分につながる。
 これにて、9日間に及んだ今回の旅も終わり。ついでに8月も終わり。たぶんきっといや間違いなく2005年の夏も、終わり。
 
 (23:59)
 
 

*1:写真では栗の下に隠れている

*2:いま適当につけたタイトルだが