30年

 酒は、ずっと好きだった。
 といっても、高校まではそれほど呑んでもいない。大学に入って、大学の仲間と頻繁に呑みにいくようになってからか。学生時代にはありがちだけど、家にあまり帰りもせずに友達の部屋を泊まり歩いたりして、まあよく呑んだ。

 20代、会社にいた頃は、毎晩会社から行きつけの飲み屋に直行し、朝まで呑む……なんてことも日常的にやっていた。その当時は若さにまかせてムリをして、ウイスキーをストレートでばかり呑んでいた。そのせいで、会社をやめる頃には内臓がおかしくなって、しばらく酒から遠ざかるハメになった。

 何年間かそんな状態がつづいて、この期間は酒というものをほとんど口にもしなかった。ようやく少しずつ呑めるようになったら、若い時分にはあまり好きではなかった日本酒のうまさがわかるようになっていた。これが5、6年前のことか。ただこの時期は、ムリはしなかった。呑みに行くのは月に数回程度。日本酒が中心だったけれど、内臓もまだまだ本調子ではなかったので意識して呑みすぎないようにしていたし。さらには歯の調子もずっと悪く、酒を呑むと歯が痛みだしたりしていたので、それほど量も呑めなかった。

 最近また20代の頃のように呑み屋に通うようになったきっかけは、ちょうどこの春から歯をいっせいに治療し始めたので呑めるようになったという事情もあるけれど、やはり最近の私的沖縄ブームの影響が強い。沖縄(や奄美八重山)で呑む酒があまりにうまく、またあの雰囲気があまりに楽しく、癒される。東京に帰ってきて向こうと同じように楽しくフレンドリーに呑める空間を見つけたから、まあハマっているわけだ。もちろん酒は基本的に泡盛。有泉(ヨロンの黒糖焼酎)を置いてあるところでは有泉も呑む。どっちにしろ蒸留酒で、最近は日本酒はめったに呑まない。ビールも、それほどは呑まない。泡盛黒糖焼酎を、その日最初の1杯は水割りで、2杯目以降はロックで、3、4杯程度ちびちびやっている感じである。

 

 きのうもガストでの夕食会が開けてから「美ら島」に寄ったと書いたが、前日につづいて午前2時の閉店までいた。マスターとしばらく話し込んだり、お店の三線をひかせてもらったりしていた。カウンターではきのうは僕がいちばん左端で、右隣に前日知り合いになったK村さん、その右に当初は2人組の客がいたが、2人組が帰ったあとはさらに右にいたM尾さんが僕らの隣にやってきた。

 このM尾さん、年の頃は同じくらいで、その名前と顔になんだか見覚えがある。どこで会ったのだろうかと考えてみたのだが、なかなか思い出せない。そんなこんなで店が閉まり、外に出てぶらぶら歩きながらM尾さんと話していたら、ようやく正体がわかった。小学1、2年のとき同じクラスにいたM尾くんだった。M尾くんも「おお、○○か!」と僕を下の名前で呼び、急速に記憶を取り戻した様子。それから、30年も昔のなつかしい話が始まった。

 たしかに小学1、2年といえば1975、76年だから、もう30年前。M尾くんとは小・中学校とも一緒だったけど、クラスが同じだったのは小学校最初の2年間だけで、そのあとはとくに遊んだりしたわけでもないので、彼の記憶といったら小学1、2年の頃しかない。それにしてもほんと、偶然というのはおもしろいし、すごい。

 幼い頃の記憶というのもたいしたものだ。彼も、よくまあ僕の下の名前を覚えていたこと。担任の先生や友達のことなど、夜道でしばらく話がはずみ、こんど当時の友達数人で呑もうということになった。

 それ以前に、M尾くんとは美ら島でしょっちゅう会うことになりそうだが(笑)。 (12:21)