自由

 「自分勝手に生きる」とか「自分が好きなようにやる」とか平気で言うやつがいる。アホかと思うし、カッコ悪い
 誰でもある程度は自分勝手で、自分が好きなように生きている。こんなことは当たり前。あらためて言うまでもない。それはそれとして、本当の意味で自分勝手に、自分の好きなように生きていいやつなんてこの世にいない、あるいはいたとしてもきわめて特殊な環境にごくわずかしかいないと、僕は思っている。自分勝手に、自分の好きなように生きる資格を持っているやつなんて、そうそういやしないと
 「自分勝手に」「自分の好きなように」なんてことは、誰のおかげでもなく自分ひとりの力だけで成長し、自分ひとりの力だけで生きている人間にだけ言う権利がある言葉だと思う。それ以外の人間はすべて、かならずほかの誰かの力を得て成長し、ほかの誰かの助けを借りて生きている。かならず。ならば、自分ひとりで生きているわけでもない人間に、「自分勝手に」「自分の好きなように」なんて身のほど知らずのエラそうなことを言う資格があるものか。
 え、きみは自分ひとりで仕事をして、自分ひとりで買い物をして、自分ひとりで食事を作って、洗濯もクリーニングもひとりでやっているって? じゃあ聞くけど、そのきみが料理している食材はきみが自分で作ったの? お米や野菜を自分で育て、牛や豚も自分で飼い、肥料も自分で作っているの? 料理に使っている鍋もきみがひとりでこしらえたの? 電気とガスはどうしているの? 皿は? フォークは? ケチャップは? 冷蔵庫は? 洗濯機は? ひとりで仕事しているって言うけど、たとえばきみが作っているものを買ってくれる人がいなくてもきみの仕事は成り立つの? 雇ってくれる会社がなくてもきみは働けるの? ……まあこんなことはケチをつけているみたいなものだが、多かれ少なかれ人はほかの人間と関係を持って生きている。森に捨てられて狼に育てられ、成長してからはやはり人里離れた森の中で完全自給自足生活を送っているのでない限り
 それにもかかわらずそんなことを言うやつは、ただの物知らずのガキにすぎないと僕は思う。ほかの人よりもさらに「自分勝手に」「自分の好きなように」「自分なりに」行動したりモノを言ったり書いたりする資格がないやつだと僕は思う。正直、甘いと思う
 いまの自分がどうしてここまでやってきたかということを考えたら、「自分勝手に」「好きなように」だなんて、たとえ実際の行動がそうであって腹の中でそう思っているとしたって、口が裂けても言えないだろうと思う僕は、思う。
 
 ネットというのは、社会である。思想の自由、信条の自由だから、自分が思ったことを自由に書き連ねていいだろう。ただし、「公共の福祉」に反しない限り、だ。いやこの「公共の福祉」とやらは日本国憲法の言葉を借りただけの話。べつに日本国憲法なんて守らなくてもいいけれど、まあとりあえずいちばん身近にあるテンポラリなルールだからね。
 たとえば、すごく嫌いなヤツがいて、「●●よ、死ね、死んじまえ。殺してやる」と書くのも基本的には自由である。「自分が思うことを、書きたいように自分なりに書く」ならば、当然、そういうことだって書いていいはずだ。けれど、自由に書いていいことと、そのあと周囲の社会からなんらかの制裁を加えられることとは別の話である。もし僕が「自分がそう思うから、書きたいように書きたいから」という理由で上のように書いたとしたら、社会から制裁を加えられることは間違いない
 つまり、自由というのはかならずその半面として責任がつきまとうものだ。「僕は僕が書きたいように自由に書きたい、でも自分が書いたものの責任はすべて自分が負います」……こういう気構えがなければ、自由に書く権利なんてないんじゃなかろうか。そういう気構えがないのに文字どおりの自由になんでも書くというのは、単なる荒らしかと思う。ネットで、とかいうよりも、もっと広い意味で、社会に対する荒らし。殺人や強盗やレイプやテロと同じこと
 責任が伴わない自由なんて、ありえないでしょ。ていうか、あったら困るでしょ。責任のない自由が認められていたら、僕もきみも、すでに誰かに自由に殺されて、この世に存在していなかったかもしれないよ。
 ああ、大げさだって? 大げさなのはわかる。でも大げさに書いてもいいくらい、いまの日本はけっこうタイヘンなことになっているんじゃないかと思ってね。もちろんこれは誰か特定の人に当てた文章というわけではなく、まず何よりも「自由な社会」に生きる自分に対しての戒めだけど。 (20:36)