さくら組ツアーから一年の話

 
 口にくわえているタバコを取って見たら、フィルタのところにベットリと濁った赤い血がついていた。
 
 きょうは3月22日だ。いわれなくてもわかってる。
 ということは、きのうが3月21日だった。これも、いわれなくてもわかってる。
 日程とかもう全然おぼえてないんだけど、漠然と、2004年春さくら組ツアーはちょうどいま頃がラストだったよなぁと思って調べてみたら、3月21日の岩手県民会館がラストだったようだ。
 ということは、きのうが3月21日で、その1年前がさくら組ツアーのラストで、ということは、3月22日のきょうは、さくら組ツアーのラストから1年と1日。
 僕が継続的に参加していたコンサートはそのさくら組ツアーのラストがラストだった。4月以降は、モーニング娘。本体の春ツアーも、モーニング娘。ミュージカルも、夏のハロプロコンサートも、ちょぼちょぼっとしか顔を出していない(春ツアーは数自体はそれなりに行ってるけど、気持ち的にはちょぼちょぼ)。ゲストっつーか、べつにエライ人間じゃないのでゲストでもなんでもない、オプションというか、たまたまというか、レギュラーではない補欠というか、まあその程度の気持ちでしか見ていない。
 で、8月の終わりに2度目のハワイへ行った。それはまあ、途中から参加とかできないから最初から最後まで行ったわけだけど、そのハワイが、自分にとってのラスト。それ以降、コンサートとか、イベントとか、何ひとつ行っていない。でもまあやっぱり4月の春ツアーから8月のハワイまではおまけというか、ただなんとなく行っただけなので、継続的にきちんと参加していたものという意味では1年前のさくら組ツアーがラスト。だから僕は、もう1年と1日、きちんとしたレギュラーな“ヲタ”の世界からは遠ざかっていることになる(もっと正確にいうならば、昨年3月21日からの365日が満了するのはことしの3月20日なので、1年と2日ということになるのだろうが、まあそんなことはどうでもいい)。
 
 昨年3月21日の岩手県民会館のコンサートが終わり、ふぃぢやぷさんやY木さんたちとの打ち上げにも参加せず、その夜は盛岡に泊まって、翌朝ひとりで新幹線に乗って仙台に出た。盛岡仙台間の車内では前沢牛弁当を食べていたのをおぼえている。うまくはあったけど、前沢牛はやっぱり弁当なんかで食うもんじゃないとも思った。
 仙台に着いて、スーパーひたちに乗り換えようと思ったがけっこう時間が空いていたので、駅前のヨドバシカメラで買い物をした。それからスーパーひたちに乗って、日立に向かった。この車内ではキューブリックの「博士の異常な愛情」のDVDを見ていた。日立に到着した時間とかおぼえていないけど、午後の早い時間だったろうか。ここらへんの記憶があまりはっきりとしていない。やすと合流する時間が夕方だったんだろうか。時間があったので映画でも見ようと思ったんだが、上映されていたのが「ロード・オブ・ザ・リング」のどれかと、あと2本はアニメ系だったか。「ロード・オブ・ザ・リング」はたしか見た直後だったし、アニメ系を見ようという気分でもなかったので、映画を見るのはやめた。安いDVDを1枚買って、軽く食事をして、それからやすといったん合流したんだったかな。まだ明るい時間に人のいないガストに行って、僕は食事の直後だからドリンクバー、やすはパスタチーズフォカッチャドリンクバーだったと記憶している。チーズフォカッチャを数切れつまんで、なんか異様においしかったこともおぼえている。そのことはよくおぼえている。雨が降っていたっけ? 降っていたような気も、降っていなかった気もするが、たぶん降っていただろう。きょうが雨だから、1年前も雨だったということにしておこう。いや、たしか降っていたはずだ。ガストでしばらく話したあと、やすは何か用事で数時間出かけるとかだった。夜にまた合流することにして、僕はホテルにチェックインし、部屋で先ほど買った安いDVD(「インデペンデンス・デイ」だったと思う)を見ていた。
 夜にふたたびやすと合流。ちょっとおしゃれっぽい居酒屋にいったのがこのときだったのか、それともあんこう鍋を食べにいったのがこのときだったのか、どちらだかおぼえていない。ともかくそのどちらか。このとき泊まったホテルは、できたばかりの日立駅前東横インだったか。たぶんそうだろう。
 岩手県民会館でのさくら組ツアーファイナルの翌日。僕は何かとうちひしがれていた。いや僕は反応ヲタではなかったので、ライブ中に何が起きたとかあるいは何が起きなかったとか、見てもらえたとか見てもらえなかったとか、発見されたとか発見されなかったとか、他のヲタがどうで自分がどうだとか、そんなことでは打ちひしがれたりしない。正直、どうでもいい。所詮コンサート会場はその程度の場だという意識が、ずっと以前からあったし。それに、もしその点でいうならば、岩手の前日は秋田で、秋田は彼女が病気で倒れて1週穴を開けてからの復帰ライブで、おそらく僕の“ヲタ生活”でいちばんいいことがあった日でもあるし、翌日の岩手もまあいいことがあったから、それで落ち込むとかそういうことはない。ああ、結局、僕は以前から「いい思い(体験)をしたことを人に言わない」と言われていたけれど、たしかにそういうことは具体的に言いたくないし書きたくもない。いまは自分の胸の中にしまってある。そういうのを書くと、自分があさましくも感じるし、同時に自慢みたいでなさけなくも思ってしまうので。こういうのはパーソナリティーの違いだから、まあ仕方のないところだ。
 話がそれたけれど、そんなわけでさくら組ツアーラストの2日間、秋田岩手ヲタ的に悪いことが起こったということでもない。僕が打ちひしがれていたのは、そういう会場での反応云々の問題ではなく、まあいまさら言うまでもないことだけど、ずっと以前から感じていた、そしてその春のさくら組ツアーではさらに深刻に厳しく強く感じていた“距離”や“立場”の問題で、だ。それに加えてこのツアー中、ショックなことを知る場面もあった(さらにショックなことは、のちにハワイで聞くことになるんだけど)。そんなこんなでこのツアーは全般的に打ちひしがれていたのだが、やはりこのツアーが終わったということは、最終的に大きな何かを僕に与えた。まっすぐ東京になんて帰りたくなかった。だから日立に寄って、やすにいろいろ話したかった。結局何も話さなかったと思うけれど、やすがいてくれるだけでありがたかったから。
 好きだから=見たい……世の中、それだけじゃない。好きだから=見たくない……こういうことだってある。人それぞれ、事情によってそれぞれだ。そのあたりは、一律に機械的にきまる問題じゃない。人間は愛する生物だが愛する機械じゃない。つまり「LOVEマシーン」じゃない。「好き」という気持ちも機械的基準じゃ割り切れない。まるで機械のように愛している人を見ると、僕的には、疑問に感じる。
 なんだか話がそれている。で、昨年の3月22日、つまり昨年のきょうだが、岩手からの帰りに日立へ寄って、その晩は日立に泊まって、翌朝東京へ帰ってきた。東京に着いて有楽町で「ラスト サムライ」を見たのは今朝の日記に書いてあるとおりだ。
 
 それから、ほどなくしてモーニング娘。の春ツアーが始まったんだろうか。さくら組の春ツアーの途中から、もう自分は耐えられないと強く感じていた。秋田岩手の2日間は、だから僕にとっては会場に足を運んだり家でテレビを見たり写真やグッズを買ったりするいわゆるヲタ(ファン)としては最後の2日にしようと、自分の中ではきめていたのかもしれない。だからその後のモーニング娘。春ツアーはまったく行く気が起きなかった。実際、行く予定もなかった。
 だのに結果的に、モーニング娘。春ツアーは大阪の2日目の最終公演に顔を出し、その翌週の名古屋で3公演と、さらに翌週のさいたまでも3公演入った。このあたりは、スパッとやめられるわけではなく引きずっている部分もあったのだろう。気持ちの中では、あくまでも「もう終わり」のあとの、おまけという気分だったが。
 モーニング娘。春ツアーの1ヵ月ほど後に始まった中野サンプラザでのミュージカルも、初日に1回と最後のほうで2回か3回入った。いうまでもなく春ツアー時点より気分はさらに縮小していて、日常的にモーニング娘。に触れる機会もぐんと減っていた。夏のハロプロコンサート、これも最終の代々木だけ2つか3つ入った。ミュージカルと代々木ハローで1回ずつ、やすと最前にも行ったが、まあ、行ったというだけの話だ。そこで起きたことも、べつに書こうとは思わない。自分の中では、すでに“終わった”あとの話だ。
 8月になり、モーニング娘。本体の夏ツアーが始まった。最初は神奈川座間。Y木さんのところでチケットが余ったとのことで、急きょ行くことになった。まだこの頃は、そういうことならまあ行ってもいいかと、いくらかは思えていたんだろう。このあとにハワイも控えていたし。これも、ただ行っただけ、だが。
 で、座間で見たこの2公演が、まあ最後のコンサートになったわけだ。その後、8月末の2年連続のハワイツアーに参加して、彼女を見た。握手のとき、前年もそうだったが自分からは何も言わなかった。自分から何かを言えば彼女は自分が言ったことをベースにしてその場でコメントを作ってしまうかもしれないし、自分が言うことの先入観なしに彼女がまず何を言うかを聞きたかったから。結果的には2年とも、言葉としてはまあよかっただろう。でも、「いつも見てますよ」と言われたとか、全然意味がわからない。いつも見ていたのは、僕のほうなのに。
 ともかく彼女のそういった言葉を聞いたあと、最後、手を離すとき、自分のありったけの思いを、短い言葉でつたえた。……それだけの話だ。
 
 9月の終わり頃、エプソンの発表会で彼女を見た。“公”の場で彼女を見たのは、それが最後だ。 (たぶんつづく)
 
 (22:29)