またちょっと

 落ち込み中。
 自分のやってきたことに後悔はしないタイプだし、この4年の出来事ももちろん後悔とかしていない。
 でもね、ヨーロッパの各地やアジアの各地や、世界中のいろんな国々に行った人たちのページを見ていたら、ああ、この4年間でも、この4年間に使った時間と使ったお金で、こうやって世界のいろいろなところに行けたんだな……そう思って、残念だった。
 いまからだって、もちろん行ける。行けるんだけれど、ここ数年でとくに強く感じたのは、30代前半と30代後半ではかなり違うということ。32歳の自分と36歳のいまの自分をくらべるだけでも、体力、知力、観察力、想像力、実にいろんな点で、目に見えて衰えている。
 30歳ではそういうボーダーの意識をあまり感じなかった。それが、35歳では、ほんと強く感じた。それまでの自分自身の感覚では、自分自身を十分に制御できなくなっている。物忘れのひどさが増し、それまでだったら「この程度の高さならこの程度足を上げれば普通に越えられる」と思っていた高さまで足を上げているつもりでも上がっていなくて、部屋の中に積んである物や、あるいはサイドテーブルの上に置いてある2リットルペットボトルのキャップのあたりに足が当たったりもするようになった。いずれも、30代前半の自分自身の意識では、当たらなかったものだ。いやそれ以前に、日常的な「高さ」ということを意識的に考えてもいなかった。
 何かをしようと思い立って直後にそれを忘れていたり、いままで常識的に覚えていたことが思い出せなくなっていたり……とにかく35歳を過ぎてからの自分の衰えは、考えたくもないほどに加速度的だと実感している。40歳を超えている人生のセンパイに聞くと、35歳もたしかにそうだったけど、40歳というボーダーの力はさらにすごいらしい。暮らし方を根本的に変えなければと、切に感じるそうだ。
 そんなわけだから、自分の体がある程度自分の思うように動き、かつアタマの衰えもさほどではない30代前半から中盤にかけての貴重な4年間に、実際に体験してきたことはたしかに自分の人生にとって意味のあるものではあったのだろうけれど、それはそれとして、いろんなところへ行ったり、いろんなことをしたりしなかったのが、後悔ではなく、ひたすら残念に思う。もっといろんなところへ行き、もっといろんな映画を見て、いろんな本を読んで、いろいろ考えて、いろいろ試して、いろいろ書いて……この貴重な4年間は、自分の中でその他の4年間と同じように自分という人間をつくっていくうえで「大切な体験」であったのは事実だけれど、同時にいま、その他の4年間とはちがって「失った時間」という意識も、正直、すごくある。
 だからといって、現にもう36歳になってしまい、ここまでの4年間よりは明らかに短いであろう次の4年間を過ごすと40歳になる自分に、この4年間はもう戻ってこないのだから、どうにもならないのだけれど。
 繰り返すが、後悔ではなく、残念、というよりさびしさ、そういう感じだ。夏の終わりに吹く秋風を、感じるときのように。
 
 (4:07)