きのうの出来事

九州北部で大地震

 午前10時53分、玄界灘大地震発生。マグニチュードは7.0。福岡、佐賀両県で震度6弱福岡の一部では震度6強を記録したらしい。震源の深さが9キロと浅いことも、人間が住む地域での揺れを大きくした。
 このあたりはいわゆる地震空白域で、福岡、佐賀両県で震度5以上を記録したのは統計のある1926年以降初めてのことだったそうだ。この地域での大規模な地震は有史以来ほとんど記録されていないという話もある。
 ここ半年で、新潟北海道、そして九州と大きな地震。かえすがえすも東京が揺れていないのが、気にかかる。
 

●岡部引退セレモニー

 きのうも書いたとおり、中山へ行ってきた。ぷさん、ふぃちと3人で。これまではむしろ遅れてくる傾向にあった(笑)ぷさんが、昼休みの岡部引退関連イベントを見るために少し早く前乗り。ふぃちと僕はぷさんより1時間ちょっと遅く現地に到着した。
 出発前、ふぃちとメッセンジャーで話していて、彼が落ちたのが午前10時42分。僕はその10分ほど後に家を出ているので、ちょうど九州地震が起きた頃だ。地震を知ったのは中山へ向かう電車の中、朝日新聞のニュースで(余談だが、天声人語を読むために朝日ニュースサイトは携帯で有料登録している)。
 到着直後の6レースは買わず、7レースからスタート。さっそく7レースで馬連とワイドの両取りをしたが、そのあと振るわず結果的にはいくらかの赤字成績となった。メインもスカッとはずし、最終は3連単1・2・4着。ショパー。でもまあいい、きのうのメイン的な行事は自分のつまらない馬券などではなく、岡部さんの引退行事。昼休みのイベントは見ていないが、最終レース終了後の引退セレモニーはしっかり現地で体感してきた(最終レース終了後にセレモニー会場のパドックへ行ったらもうすごい人だかりだったので、セレモニー自体はターフビジョンで見ていた)。武豊横山典、田中勝、蛯名、柴田善、松永などなど中山にいた後輩騎手たちも総登場し、さまざまの温かいコメント、そしてジョッキーたちが担ぐ神輿(ノリ発案とのこと)に岡部を乗せてパドックをまわるなど、実にいい雰囲気の引退セレモニーだった。
 ほんと、行ってよかった。

 
 引退セレモニーを待つパドックの人垣
 
 
 ジョッキーたちが担ぐ神輿に乗る岡部=ターフビジョンにて
 
 中山へ向かう途中の総武線車内で、週刊現代の「安藤美姫に集まるカネとオトコ」という中吊り広告を見た。
 スポーツに限らず、政治、経済から出版、芸能界に至るまで、有名人(カネの取れる有名人)の周りというのは普通にそういうものなのだろう。
 わかりきっている話だが、こうして改めて見るとやはりガッカリはする。
 

地下鉄サリン事件から10年

 そして、地下鉄サリン事件から10年。
 10年前、その事件当時の僕は新聞社員で、この事件以降はしばらく特別態勢のような感覚だった。
 この年、1995年は、1月の阪神淡路大震災から始まって、大変なことばかりが起きた一年だった。一連のオウム真理教事件もそう。1ドル80円を切る79円75銭の超円高高速増殖炉もんじゅ」のナトリウム漏れ、東京協和・安全両信用組合の金融不祥事(山口敏夫逮捕)、ANAハイジャック青島幸男・横山ノックが知事に当選、海の向こうではラビンが暗殺され、シラク大統領になり、全斗煥盧泰愚が逮捕され、田宮高麿が死に、ベトナムASEANに加盟し、野茂が単身メジャーへ乗り込み新人王を獲得した。この1995年ほど号外が乱発された年も、おそらくはないだろう。個人的には暮れに、結婚生活2年と11ヵ月で離婚もした。
 離婚という経験が僕に与えた影響は、やっぱり大きい。3年程度、およそ1000日の共同生活をつづけても、僕には相手のことが本当にはわからなかった。その後、共同生活どころか友達づきあい、仕事づきあいすらしていない世界の人が本当はどういう人間なのかなんて自分にはまったくわからなくなったし、そういう状況でまるでその人のことがわかっているかのような文章や発言に接すると、不愉快にも感じるようになった。一緒に同じ屋根の下で長い時間(といっても3年だが)過ごしたってわからないのに、テレビや雑誌であるいは公の仕事で垣間見える部分を表面的にとらえるだけでいったい何がわかるんだと。それはわかっているんじゃなくて、その人のことをわかっていると思い込みたいだけ、あるいはその人に対してこうあってほしいという自分の勝手な考え、幻想を押し付けているだけだと、そう思うようになった。だから自分的には、よく知りもしない人や事件のことを断定的に書いたり言ったりすることは、以後避けるようになった。
 話がそれたが、さまざまな社会的大事件と個人的な事件の大挙襲来によって、価値観というものが大きく変わった年、それが1995年だった。
 社会的な事件では、なかでもオウム事件と大震災が、やはり大きい。だから地下鉄サリン事件は、いまの自分をつくり上げた決定的な要素のひとつという意味でも、ひどく重くて忘れられない、大事件だった。
 
 (5:29)