つまらないニッポン

 あなたは駅の階段で、間違えて反対側(上る側)を下りてしまったことはありませんか?
 あくまで、意識的・意図的にではなく、間違えて、ついうっかりして、です。
 
 僕は、あります。ただ、ほんの時々、人生全体でも数えるほどです。
 でも世の中には、そういううっかりを一切しない方がいるらしい。
 きょう、間違えて、うっかり上る側の階段を下りてしまったら、上がってくる人たちに、次々とにらまれました。睥睨されました。
 それも、まるで取り返しのつかない凶悪犯罪をなした者を見るような目付きで、次から次へと、何人も何人もが、僕を睨んでいくのです。いまにもつかみかかってきそうな狂気のまなざしで。なんかブツブツ、あるいは聞こえそうな声で何か言ってる人もいました(喧騒にかき消され聞こえませんでしたけど)。
 人間誰だって、うっかりはあります。でもそういう人間の存在を認められない方々が、この日本にはたくさんいます。
 彼らは完璧なのでしょう。うっかり間違えることなどないのでしょう。
 でも僕は普通の人間なので、時に間違えます。うっかりと過ちを犯します。
 でも彼らは間違いません。うっかりもありません。だからこそ、あんな鬼の形相で、たかだか下り口を間違えただけの人間を睨みつけるのでしょう。
 彼らは、ルールを守ることがエライと思っています。だから、自分たちはエライから、たまたまルールを破る人間のことを、上の立場から見下し、唾棄すべき存在だと考えるのです。
 あるいは、ルールを守ることは損をしているのだと思っているのです。だから、うっかりが原因とはいえ損をしていない僕のことが、憎くて憎くてたまらないのです。
 もちろん僕は、ルールを守って「そういうこと誰だってあるだろ」なんて開き直るつもりはありません。申し訳ない、ゴメンナサイと謝りながら下りています。もう階段も半分下りていたから、そこから反転し流れに沿っていったん上っていくのも得策ではないだろうと瞬時に判断し、すまないという気持ちいっぱいで下りたのです。
 にもかかわらず、彼らは鬼の首を取ったように、見下すのです。
 ルールを守るのは、エライわけではありません。損をしているわけでもありません。社会で生きていくうえで、当然のことです。
 だから、ルールを守っている人間は、エライわけではありません。損をしているわけでもありません。だから、たまたまうっかりでルールを守らなかった人間を見下す権利は、彼らにはありません。反対に、たまたまうっかりでルールを守らなかった人間も、得をしたわけでもありません。
 
 僕は日本が大好きです。
 でも、日本人のそういうところは、大嫌いです。
 
 
 
 

 (……てめえらみてえなやつらが、にほんをだめにしてるんだろーよ、ふざけんじゃねーぞ、)
 (……なんてことは、言いません。言いませんよ。たぶん、)
 
 
 
 


 僕は日本が大好きです。
 
 (23:36)