きょうもまた人身事故

 自殺者、ことしは15年ぶりに3万人を割りそうなだって?
 自殺が減るのはいいことだ。ただ、自殺が3万人の大台を下回るってニュース(2万9999人だとしてもすごい数なんだけど)がこれほど大々的に報じられ、そのニュースを見聞きする側もこれほど敏感に反応してしまうってのは、どうなんだろう。それはやっぱり、あまりの自殺の多さに慣れっこになってるから? 自殺のニュースに慣れっこになった社会って、やっぱり異常だものね。
 しかし、減るのがいいことであるのは間違いない。にしても、あの人身事故の多さはどうにかならんもんでしょうか。東京では、毎日どこかしらで電車が止まってる。きょうも夜、呑みに行こうと家を出たら、いきなり止まってた。幸いにもちょっと待ったら動いたけれど。
 もし、1日に3人の自殺が東京の電車網を3回止めているのだと仮定すれば、1年でおよそ1000人。ちょっと待てよ、3万人の自殺って、その30倍もあるじゃないか。そう考えると、電車が止まることでわれわれが意識する自殺の数は、やっぱりほんの氷山の一角にすぎないんだな。ほかの人たちは、ちがう手段を選んでいる。それを詳しくここで考えてみたりはしないけれども。
 どうしてこんなに死ぬんだろう。僕のまわりには、幸いなことに自殺しそうな人がいない。本当はいるのかもしれないけど、少なくとも僕にはいまのところわからない。
 それでもいつの日か、ああ、あいつが自殺するだなんて夢にも思わなかったよ、なんてことがあるのだろうか。ぶるぶる、考えたくない、そんなこと。
 そして、それを言ってしまったら、自分自身だって将来はわからないってことになっちゃうじゃないか。
 僕は自殺を肯定しない。だから、自殺をする人は、人に迷惑をかけず、客船から大海の真ん中で身を投げるくらいのことをしてほしいと思う。
 だけどもそれは、僕自身が自殺をしようと考えないからなのだろう。しようと考える人にとっては、きっとまたちがう基準があるのだろう。
 いま僕が願うことは、僕自身、そしてまわりの人たちが誰一人、自殺することなく、人生を楽しんで生きてほしいという、まるで宗教家のような物言いだけれども、でもそういうことだな。きれい事と言われても、それはそう思うし、そう願うよ。
 
 (23:49)