33回目の12月8日

 ジョン・レノン32回目の命日である。
 1980年12月8日。おっとこれはニューヨーク時間の話。日本では12月9日だった。
 前にも書いたよな。しかも何度も。だからさらりと書こう。僕は小学校6年生だった。
 ビートルズはその2年前から聴き始めていたので、この日テレビで聴いた“ジョン・レノン射殺”のニュースは、子供ゴコロに、大ショックだった。
 そして大きくなったら、ニューヨークの、ジョンが撃たれたダコタ・ハウスの前に行ってみようと思った。
 
 それは大学生のときに実現した。1992年のこと。いまからちょうど20年前か。冬の終わりの、春の初めの寒い日だった。ニューヨークはその数日、大雪で、セントラル・パークは真っ白だった。
 7番街のホテルから、真っ白なセントラル・パークを抜けて、僕はダコタ・ハウスまで歩いていった。
 
 だから、ダコタ・ハウスに行くという子供の頃の思いは早々に果たしたわけだけれど、ふと考えてみれば、まだやっていないことがあった。そしてこれも、子供の頃にいつかやりたいと思っていたことだ。
 
 ……それは、そう、12月8日にダコタ・ハウスへ行くこと。
 いまだ、12月8日に行っていない。行こうと思ったこともあったけれど、何かと日常の瑣末な用事に邪魔されて、行けずじまいになっていた。会社員時代はこの時期に休みを取りにくいというのもあった。1998年に会社をやめてフリーになってからはとくに、12月のこの時期はだいたい仕事が忙しめで、それも理由といえば理由だった。つまらない理由だけど。
 そして毎年12月8日を迎えると、ああ、ことしも行けなかったなぁ、行かなかったなぁと、思うのだった。
 
 ジョンが死んで32年。33回目の12月8日。
 いま、この日を終えようとしているそのときに、僕は来年こそ、12月8日にニューヨークへ行こうと思うのだった。来年こそ。仕事が多少忙しかろうが、行こうと。
 こういうのは、行かないでいると、いつまでも行かないものだし。
 
 ああ、そう考えると、リバプールにももうだいぶ長い間行っていないのだった。
 ここも近いうちに、再訪せねばならぬと、いま僕は思うのだった。
 
  *   *   *
 
 そしていうまでもなく、12月8日は真珠湾攻撃の日でもあるわけで。こちらは日本時間のことで、ハワイ時間では12月7日だった。
 真珠湾はことし、8年ぶりに再訪した。うちの奥さんと、うちの母と弟と、4人で。
 戦争の平和な傷跡が、相変わらずそこにはあった。
 
 同じく12月8日は、三波伸介(もちろん初代)が死んだ日でもある。ジョンの2年後、1982年のことである。
 てんぷくトリオ凸凹大学校エスチャー!
 ずうとるび江藤博利が描いたあの謎の生物の絵、なつかしいなぁ。
 
 (23:55)