75日目

 震災発生からきょうで75日目。最近ようやく、震災直後から続く焦りと苛立ちの気分だけは、すこし落ち着いてきた。
 前にも書いたように最近はTwitterでの発言が多くて、ブログのほうは毎週末の競馬予想以外、ご無沙汰の状態。Twitterのいいところはいまさら挙げるまでもなくいろいろあるけれど、個人的によくないと思うところもふたつある。
 ひとつは、(プライベートで)ブログのようなまとまった文章をあまり書かなくなること、もうひとつは落ち着いて思考をまとめようという気持ちになかなかなれないところ。もちろん、Twitterを使いこなしながら毎日精力的にブログを更新されている方もおられるのだから、これはあくまで僕が個人的に感じている影響、あるいは単なる言い訳に過ぎないのかもしれないけど。
 こんなんじゃいかんな、と思う。やっぱブログはある程度定期的に更新していかないと。文字量は少なくてもかまわないので、ともかくTwitterのつぶやき以上の何かを書いていかないと、自分が衰えるかなと思った。もちろんこれも、あくまで個人的な感慨。
 とはいいつつ、この75日間、ブログのようなまとまった文章をものせずにひたすらTwitterでつぶやき続けたのは、それはそれでこの期間の僕の心持ちにマッチングしていたんだろうとは素直に思う。定着しない、嘘かほんとかわからないような刹那的な情報、しかもどれもこれも取るに足らないものではなくって、地震にせよ、原発にせよ、家族や親戚や友達や自分の命とか、この日本という国の命運に直結しかねない情報が雹のようにバラバラバラバラとそこらじゅうから降りかかってきては、カラダに、脳に、目に舌に至るところに当たりまくっていた時間の流れの只中では、そうした情報をいったん落ち着けて膨らませたり整理したりするのではなく、とにかく流して、流して、流すことによって何らかのまったく決定的でない暫時の気休めを得ようとしていたのかもしれないな、と思う。
 流れゆくそのスタイルが、自分のはかない心境と、拙いモチベーションに、合っていた。そういうことに過ぎないんだろう。と。
 などと書いていたら、2号機3号機もやっぱりメルトダウンとか。なんだろう、日本国民、この言葉でもっともっとザワザワするはずなのに、ちょっと慣れちゃったか。いったいどういう状況の中に、僕らは投げ込まれてしまったのか。少なくとも3発が炉心溶融とか、人類は一度も経験したことないわけで。いましばらく、流れは続きそうだけれど。
 それがはたしていましばらくなのか、僕が生きている間はずっとなのか。わかんねぇやな、そんなの。覚悟はしてるけど。ま、とりあえず、これからはぼちぼちブログも書いていこう。以前のペースにできるだけ戻して、ね。戦時中だって記録を残し続けた人はいる。ならば、いまだって。
 
 (11:08)