南アフリカ旅日記 〜day9後半 Victoria Falls〜
<6月30日続き>
ジンバブエとザンビアの国境線は、深い渓谷にかかる橋の上だ。ビクトリアフォールズからやってくるアフリカ第4の大河・ザンベジ川(全長2750km)が、ビクトリアフォールズ・ブリッジという名の国境の橋のはるか下方で激しい流れになっている。
なんていう名前のスポーツなのかわからないが、渓谷を越えるロープを張って、そこをズルズル移動するアクティビティを楽しんでいる人たちがいた。ほんとにこれが楽しいのかどうか、僕は知らないけれど。
こういう怖いことを楽しみたいと思う人ってたくさんいる。ビクトリアフォールズはバンジージャンプの名所でもあるらしい
しぶきはだいぶん前からしばしば飛んできていたのだけど、まだビクトリアフォールズの姿自体にはお目にかかっていない。厳密にいえば空港に着陸する直前、窓から遠くに見えたことは見えた。アフリカのどこまでも茶色い大地に一筋開いた白い亀裂が、そこだけ水の気配を漂わせていた(3つ下の写真を参照)。ただ、実際に滝のそばにきてからは、まだ水しぶきと、空へ雲のように立ち昇る水煙しか僕らは経験していなかった。
橋の上に差し掛かって、滝の一部がようやく視界に入ってきた。下の写真をよく見るとわかるかもしれないが、カメラのレンズにもかなりの水滴が付いている。陽射しが強かったので、この水は気持ちよかった。橋から下を覗き込むと、その強い陽射しと滝のしぶきが美しい虹のアートを生み出していた。
国境の橋の上から、ようやく滝が見えてきた
ビクトリアフォールズから流れてくるザンベジ川に、虹がかかっていた
着陸直前、飛行機の窓から見たビクトリアフォールズ。こんなに遠くでも水煙が立ち上がっているのがわかる
橋を歩いていると、ひとりのザンビア人の青年が話しかけてきた。彼が手に持っているのは、日本を発つ前から僕らも最高のおみやげになると読んでいたジンバブエ・ドル札だ。
ご存じの方も多いと思う。近年、とんでもないハイパー・インフレにさらされて、ジンバブエ・ドルの価値は急落に次ぐ急落。2008年の中央銀行発表によれば年間インフレ率が200万%を突破。200%でもすごいことなのに、200万%だ。ジンバブエ・ドルも同年に1億ドル札が発行されて以降、額面はどんどんとつり上がり、500億ドル札、1000億ドル札ととんでもない額が次から次へと現れた。
2009年の発表では、年間インフレ率はなんと2億%! こうなると、もうどこをどう計算したらどういう数値が出るのかもわかったものではない。ジンバブエ・ドル札もさらに額面がアップし、同年にはとうとう10兆ドル、20兆ドル、50兆ドル、そして100兆ドル札が登場。その後、12ケタという驚愕のデノミを実施したが、その後、ジンバブエ・ドルが価値を取り戻したなんて話題はいっさい聞いていない。
ジンバブエが発行した最大の額面である100兆ドル札は、Thousandの1000倍であるMillionの1000倍であるBillionの1000倍であるTrillionの100倍、すなわちOne Hundred Trillion Dollarsということになる。紙幣に書かれた数字は
100,000,000,000,000
だ。なんのことやらもうわからんケタ数の数字である。ちなみに1光年(光が1年で進む距離)は約9兆5000億km。100兆kmはだいたい10光年ということになる。「もう光速ドルだね」と、のちにうちの奥さんはステキな比喩を述べていた。参考までに、地球と太陽の間の距離は約1億5000万km、光の速さで8分だ。
このとんでもなく価値がない光速ドル紙幣(しかもすでに発行停止されている)が、いまビクトリアフォールズ土産としてもてはやされている。それもそのはず、こんなお札、こども銀行だって発行しないし、それにそもそもビクトリアフォールズには大した土産物がない。観光地にありがちな地名の入ったキーホルダーやTシャツ、帽子といったものを除いたら、あとは木彫りのキリンとかカバとかそんなものばかり。0が大量に並ぶ札が目新しさで注目を浴びるのも、当然といえば当然なのである。
だから僕らも、ジンバブエ・ドル札がほしかった。日本出発前からそうもくろんでいて、実際に多くの友人や知り合いから、今回の旅の土産としてウン兆ドル札をほしいと言われていた(あるいはブブゼラ)。
できることなら、最高単位の100兆ドル札を手に入れたい。国境の橋の上で近づいてきたザンビア人の青年は、その100兆ドルや50兆ドルを含めたジンバブエ・ドル札4枚を、まとめて10USドルで売ると持ちかけてきた。
国境の橋の上、この先ザンビアの標識。振り返るとそこはジンバブエ
しばらく値切り交渉をしたら、その額は7ドル、さらに5ドルまで下がった。100兆ドル札が含まれているなら、5ドルはまあさほど高くないと思った。ただし僕らには迷いがあった。というのも、出発前、1USドルで手に持ちきれないほどのジンバブエ・ドルの札束を買えるという情報があったからだ。
よくよく考えれば、その情報がどこで得たもので、どれほどの信憑性があるのかチェックすらしていなかったのだけど、ともかく僕らはその情報を信じてしまっていたので、4枚で5ドルはまだまだ高い額を吹っ掛けているだけ、そう判断したのである。
僕らはさらに値切り交渉を続けた。“1ドルで札束”の幻想に囚われていた僕らは、ひとまずその4枚を1ドルで、と提示してみた。ザンビア人の青年は、頑として首を縦に振らない。
「じゃあ、2ドル!」
それもダメ。
「3ドルでどう?」
すると彼は涙目になり、
「これはジンバブエの銀行からわざわざ買ってきたものだし(本当に彼自身が買いにいったものなのかはわからないが)、自分はこれを売って学費を稼ぎたい。少しでも足しにしたい。だからこれ以上安くするのはムリですよ〜」と泣きが入った。
そうか、そういうもんかねぇ、これが相場なのかもしれないと僕も思い始め(それがすでに通貨でなく土産物としての価値を持っているのであれば、相場も高くなっているのだろう。そもそも“1ドルで札束”の情報がいつの時点のものであるかもわからないし)、ならば5ドルで買おうかと決断するその矢先、もうひとりの若者が近づいてきて、「いくらで売ろうとしてるんだ?」と最初の青年に聞いた。
最初の青年は「5ドル」と答える。すると「それは安すぎるだろう」と後からきた若者。そこから言い合い(あるいはののしり合い)が始まり、さらには……なんと殴り合いに発展してしまった!
「おいおい、殴ってるぜ、あれ」
「あら、ほんとですね……本気なのかな」
「とりあえず離れたほうがいいのでは」
僕らは口々に言って、仕方なくその場を去った。かなり離れてから振り返っても、ファイトはまだ続いていた。
これが国境の中立地帯で起きた出来事だ。僕らは、ジンバブエ・ドルを入手する機会は今後もあるだろうと考え、もう時刻も夕方に近づいたことから、ザンビア側へと先を急いだのだった。
ジンバブエ側のイミグレーションから普通に歩けば15分くらいだろうか、国境の橋を渡りきり、さらにちょっと行ったところに、ザンビア側のイミグレーションがあった。3人はザンビアへの入国手続きを取り(ビザは事前情報では15USドルだったが、20ドルに値上がりしていた)、イミグレーションを入ってすぐにあるザンビア側のビクトリアフォールズのゲートに向かった。この入場料も事前情報より高く、20USドルになっていた。W杯景気を見込んで強気に出ているのだろうか。
ザンビアのイミグレーション。手前の扉から入り、中で手続きをして、向こうの扉から出る
ひとつ注意をしておこう。自国通貨が破綻しているジンバブエでは、代わりにUSドルや南アフリカ・ランドが自国通貨のように使える(というよりそれを使う以外に方策はない)。ザンビアでも自国通貨(クワチャ)はあるにもかかわらずUSドルが使えるのだが、ジンバブエでもザンビアでも100ドル紙幣はなかなか受け取ってもらえない。ホテルのフロントでも嫌がるようだった(まあ、アメリカでも100ドル紙幣を出したらニセ札ではないかとまず疑われるのがオチなのだが)。
なので50ドル以下、できれば20ドル以下の細かなお札を用意していこう。僕は家に20ドル以下の米ドル紙幣をたくさん持っていて、この旅でもそれを活用したので問題はなかったけれど、ヨハネスブルクの空港で高額紙幣に両替してしまったむこっちはどこでもなかなか受け取ってもらえず、たいそう苦労していた。なお、50ドル紙幣であればむこっちもえちさんもスーパーでちゃんと買い物できていたので、たぶん大丈夫だと思う。
話を戻そう。夕方、もう4時を回っていた。日没がそう遠くない時間だが、ようやく僕らはビクトリアフォールズを直接間近で拝むことができるわけだ。北米のナイアガラ、南米のイグアスの滝と並び、世界三大瀑布(滝)のひとつに数えられているビクトリアの滝。イギリス人宣教師のデイビッド・リビングストンが1855年にヨーロッパ人で初めて発見したことで、世界に知られた。ビクトリアフォールズの名は、時の大英帝国・ビクトリア女王にちなんで名付けたもので、それ以前から原住民たちは「モシオアトゥンヤ」と呼んでいた。“轟く水煙”というような意味である。
その幅は1.7kmに及び、最大落差108m。幅はイグアス>ビクトリア>ナイアガラの順で、高さではビクトリア>イグアス>ナイアガラの順だ。僕は、いまとなってはずいぶん昔の話だけれど、1992年、アメリカ・カナダ国境のナイアガラには行ったことがある。4年後の2014年には、おそらくイグアスの滝に行くことになるだろう。その意味でも、今回ビクトリアフォールズを見ることは、自分の人生的にマストだったともいえる。
ゲートを入ってすぐに、リビングストンの銅像が建っていた。この先、襲いかかってくるであろう水しぶきに備えるため、僕もようやくポンチョを着込んだ。
木々の間を、モシオアトゥンヤと呼ぶにふさわしい轟音のほうへ向けて歩む。そしてとうとう、ビクトリアフォールズが僕らの前に姿を現した。
全容じゃない。ほんの一部だ。しかしそのほんの一部は、僕らの想像が描き出しうるせせこましい全容を、完璧に呑み込んでいた。
それは人間のちっぽけさを感じさせる……なんてレベルのものではなかった。地球の大きさに接したとき、人はもはや、それを人間の認識レベルと比べようなんてバカな考えはしなくなる。たぶんそれは、“大きい”というものですらなかっただろう。
それはきっと、地球という生き物の、体の一部だった。
滝に沿って左へしばらく歩くと、一本の橋があった。見るからに迫力にあふれたスリリングな橋。下からは豪雨に匹敵する、いやそれを凌駕する量のしぶきが常時吹きつけてくる。
僕らも歩いた。渡った。僕の雨具は日頃横浜スタジアムで大活躍するベイスターズ・ポンチョで、ポンチョであるから足はむき出し。ジーンズと靴がしこたま濡れた。
こんどは滝壺に沿い右のほうへ歩く。こちらは滝の上流側で、これから落ちていくザンベジ川の流れを間近で見ることができる。目の前の水、流れゆくその先。いまこの川に落ちたらどうするだろう、あの際までいったら何を思うだろう……などと、ひどく凡庸な考えしか浮かばなかった。とにかく圧倒されて、思考が奪われる。たぶんそういうことなんだ。
そうそう、いちおう断っておくと、この日は時折曇った以外、基本的に晴れである。ビクトリアフォールズ以外の写真を見ればそれがわかると思う。陽射しが強く、半袖で十分だった。なのに滝の写真だけはまるで雨のような景色になっているのは、すべて滝が巻き上げる水煙のせいなのである。これについては、また11日目に書くことにしよう。
ゲートまで戻って外に出ると、たくさんの土産物屋が並んでいる。だいたいどの店も売っているのは例の木彫り系だが、これまただいたいどの店も、いちばん手間にジンバブエ・ドル札を並べていた。
僕らはふたたび交渉。ただ、どの店でどれほど粘っても、100兆ドル紙幣が含まれていたら、先ほどの青年のレベルまでは下がらない。どうしても10ドル近くはほしいようだ。もしかしたらこれが本当に相場であって、先ほどの5ドルは逆に安かったのかもしれない。あるいは、青年は札をジンバブエから買ってくると言っていたから、もしかしたらジンバブエのほうが安いのか?
僕らはビクトリアフォールズで2泊するからまだ時間がある。正直いって、僕とえちさんはもう10ドルでもよかったのだけど(笑)、むこっちは例の“1ドルで札束”を信じていて
「こんなはずはない。価値のないお札なんだから絶対にもっと安くなる」
と主張。それならジンバブエでまたがんばってみようということで、ひとまずその場を切り上げたのだった。
行きは歩いて30分強、帰りは一部タクシーを使って(3人で10ドル)、ジンバブエに再入国し、ホテルに帰り着いたのは6時くらいだった。
だいぶん薄暗くなっていたが、僕らはひとまずスーパーへ買い物に行こうということになった。そこでホテルから10分ほど歩き、地元の人しかいないようなスーパーマーケットへ。中に入ると、やっぱり黒人しかいなかった。
大量の水やら(ジンバブエでは水道水は飲めないというので)、ビール、その他お菓子などを買った。僕は水3リットルと、500mlの缶ビール、クッキーのパッケージを2つ、チョコ、カールのようなスナック、それにドーナツを買って、計6USドル(600円弱)。500mlの缶ビールでも1ドルしなかったので、まあ安かった。
外へ出ると、もう真っ暗だった。夜の道を歩いてホテルまで戻ったわけだが、べつに恐怖感はなかった。やっぱり南アフリカとは治安状況もちがうのかもしれない。
夕食は、ビクトリアフォールズの名物といえば名物のひとつであるBOMAディナー(アフリカ風のビュッフェ)に行くことにした。ホテルで予約して、タクシーで10分ほどの山の中にあるレストランまで。
道のほとんどは漆黒と呼べるほどの真っ暗闇だった。ただ、ザンベジ川の対岸のリビングストン(ザンビア側の国境の町)の明かりだけはしっかりと見えた。よく離島に行くと感じることだけれど(自動販売機の光がおそろしく遠くまで照らしていたり)、人間が作り出す明かりの強さは本当にすごい。途中でアンテロープの一種が道路を横切ったりもして、愉快な道中だった。
レストランの入り口で、まず民族衣装風の布を肩からかけられ、ほっぺたにも刷毛でささっと描く簡単なフェイスペイントが施される。表にいるとまったく聞こえなかったが、中に入ればやや暗めの照明の下、たくさんの白人たちで大賑わいだった。日本人らしき人々はこのときは見なかったので、いたかどうかわからない。泊まっているKingdom Hotelにはたくさんいたんだが(ちなみに、ケープタウン滞在中は日本人にほとんど会っていないので、ビクトリアフォールズは逆に新鮮でもあった)。
BOMAディナーでの楽しみは、やっぱり日頃お目にかかれない肉を食べられること。この日はスペアリブや分厚う牛肉に加えて、インパラ、ウォーターホッグの肉があった。イノシシの仲間のウォーターホッグは身がホクホクしてなかなかうまい。ただインパラは硬いし、噛み切れないしで、けっこう大変だった。そのほか、これは日本でも食べられるけれどクロコダイル。食べたことがある人はわかるだろうけれど、鶏肉のようなさわやかな白身で、これは山ほど食った。
好みの肉をいくらでも焼いてくれる。下の写真、左がインパラ、赤いのがウォーターホッグの肉
そして、もうひとつ、日本出発前から楽しみにしていたもの。それはワームである。ワーム、要するに幼虫だ。虫系は残念ながら、「MOPANI WORM」という、この写真のものしかなかった。味も、写真で想像できるかもしれないけれどトマトソースがかかっていて、だいたいその味。ワーム自体は少々硬かったけど、佃煮とか小魚とか食べ慣れている日本人には何の抵抗もないだろうと思う。本来ならもっとこう、白くデッカイの(オーストラリアのアボリジニが食べてるようなヤツ)を期待していたので、そこはちょっと物足りなかったな。
この辺でビビッている方もいるかとは思うが、いわゆる妙な食い物はこのワームだけで、あとは普通に肉、野菜、米、パン、フルーツ、デザートとか。逆に、僕やむこっちはもっとヘンなものを食べたかったので、やっぱり残念だった。ただ、ディナーの途中ではアフリカ現地民の踊りや歌も披露され、客も各自配られた太鼓を叩いたりする。2時間半くらい満喫して、午後10時すぎ、僕らはまたタクシーに乗ってホテルへと帰っていったのだった。(day10へ続く)
(14:25)