製造物責任法

ダービーのサブちゃん うむ。我ながら、ひどい予想だ。いやこの前のダービーの話。かすりもしてない。いくらとんでもない不良馬場だったとはいえ、あまりに的外れ。ひどすぎる。
 ただし。僕はまだいい。なぜかって? だって、僕の予想はあくまで趣味だし、たわ言だし、金もらってないし。
 でも競馬新聞やスポーツ新聞はどうだ? あれらはあくまでも商業メディア。僕みたいに趣味で予想しているわけじゃない。それがこの前のダービーだって、「アンライバルド鉄板」(鉄板とは、要はこの馬確実に勝つよ、ということ)と書いてある新聞もあれば、僕と同じくセイウンワンダーを本命にした新聞もある。トライアンフマーチを強く推していた予想屋もいた。ほかにも、百家争鳴とはまさにこのこと、ひとつの新聞で同じレースに何頭もの勝ち馬がいる。当然、勝ったロジユニヴァース以外を指名していた予想がほとんど。さすがは自由主義国家、表現の自由だなぁ。
 だけれども、それって見方を変えればウソを書いていたわけだ。家電製品だったらこんなの欠陥中の欠陥。製造物責任法、いわゆるPL法に該当しまくるだろう。あるいは同じ新聞でも、スポーツ新聞や競馬新聞でなく一般紙だったら、どう考えたってお詫び訂正モノだ。「アンライバルド鉄板とあったのは誤りでした。お詫びして訂正します」……ってね。
 でも、競馬の世界では、どういうわけかそのウソは問われない。これ以上なくいい加減な世界だけれど、その状態を誰もが奇妙だとは思わない。きわめて自然に、ああこれはアイツの予想なんだ、まあ、ハズレてやがんな……と冷笑する程度で受け入れる。あるいは冷笑すらせず、レースが終わったら誰がどんな予想をしていたかすら忘れていたりする。
 競馬の予想というのは、すごーく肯定的な見方をするなら、それはつまりは個性の表れなんである。家電製品の場合、もちろん製品なりの個性というものはあるだろうけれど、その製品に表れたメーカーの個性は、買った側は受け入れなければならない。なぜかって、その個性を省いてしまったら、多くの製品の場合、それ以外に個性らしきものは何も残らないからだ。
 けれど競馬新聞やスポーツ新聞の競馬予想に表れる個性は、気に入れば受け入れればいいし、気に入らなかったら受け入れなくてもいいんだ。だってそこにはいくつもの個性があるし、最悪、そこに書かれているすべての個性を受け入れられなくても、馬柱という客観的データがきちんと残っている。結局のところ、いっさいの予想=個性を参考にせず、その馬柱から自分なりの個性=予想を組み立てればいいってだけの話。いやあ、なんて不思議な製品なんだろう。
 とまあ、いろいろグタグタ書いてはみたけれども、それでもやっぱり「アンライバルド鉄板」だけはちょっと気になる。鉄板って表現をそうやすやすと使うな。てか、鉄板と豪語したレースなら、はずれたら責任取れ。賠償とか。
 いやまあそれを言うなら、そもそも競馬に鉄板なんてないんだけども。ゲートが開いた、ああ落馬!……たったそれだけで掛け金も夢もすべてパーになる、そういう世界だし。
 もちろん、そこからまた新たに生まれる夢、夢がひとつ破れることで新たな輝きを放ち始める夢ってものもあるし、まったく別の馬にもそれぞれの夢が宿っているんだけどね、競馬って世界には。
 あ、そうそう、写真はダービーのレース前に君が代を歌ったサブちゃんこと北島三郎さんですよ。ちょうど目の前だったので、携帯のしょぼいカメラでもまあまあ撮れた。このレースは麻生太郎さんも見にきてた。さすがダービーですなぁ。だけど、いくらひどい雨だったとはいえ、発走の15分前にスタンドからのこのこと出ていってこんなにいい観戦ポジションが取れるなんて、やっぱ競馬場にくるファンは減っているのかねぇ、と実感もした、2009年ダービーDAYであった。それにしてもベイスターズは弱い。
 
 (22:11)