東海道沿い城巡り

 日付的にはもう一昨日か。20日は朝早く岡崎を出発し、例によって青春18きっぷでJRを東へ。豊橋で吉田城(豊橋城)、浜松で浜松城掛川掛川城、静岡で駿府城と、途中下車を繰り返しつつ訪れた。
 19日の晩、岡崎でやまさんと呑んだときは、20日は岡崎から少々西へ戻って熱田神宮名古屋競馬場に行こうかなとも考えていた。でも掛川城は行ったことがないし、今回は徳島、高松、岡山と城を巡ってきてもいるので、東海道線沿線の城巡りも一興と思い変更。早朝から行動開始したという顛末。
 
 浜松藩は幕府に老中を数多く送り出してきた。いちばん有名なのは天保の改革で知られる水野忠邦だが、歴代城主のほとんどが老中や京都所司代といった要職を務めている。天守閣からは、すぐ北に三方ケ原の古戦場、東には遠く富士の山、南は遠州灘、西は浜名湖まで見通すことができるという。この日は天気はよかったものの富士山は見えず、西も浜名湖大橋は見えたが湖面は望めなかった*1
 浜名湖大橋を見て、ここ遠州はやはりうなぎであることを改めて感じ、むしょうにうなぎが食いたくなった(笑)。ただ時間がちょいと早かったし、豊橋駅で食べた朝食のきしめんがまだ腹に残っている感じでもあったから、昼食は掛川で取ることにした。
 
 掛川城は昨年の大河ドラマ功名が辻」の山内一豊が土佐高知へ転封する前にいたところ。「功名が辻」は見ていなかったのでわからないけどロケにも使われていたらしい。
 お城は駅から歩いて10分ほどと、アクセスも便利。天守閣復元時の建材に青森のヒバを利用しているので、復元天守にありがちな「これ全然現代の建物じゃん!」みたいながっかり感や物足りなさはなく、昔のお城らしい、いい雰囲気だった。
掛川城 天守閣に続く道はけっこう急で、天守閣内の階段はさらに急になっている。掛川城平山城に分類され、山城というわけではないから、天守閣までたどり着く坂の階段はさほど長いわけではないし、天守閣も小ぶりなので、内部の階段も急とはいえけっして長くはない。なので、まだ着かない、まだ続くのかなどと絶望することはないけれど、それでもまあ上るのはそれなりに一苦労である。
 天守閣内の急な階段は江戸時代当時の状態を再現しているからとのことで、たしかに松本城など現存天守も内部の階段は急だから、こういうものだったんだろう。エレベーターまで用意されている城も多いけれど、同じ復元天守といっても昔に近いほうがいいに決まってる。しかしそれだけに、高齢の人は上るのが大変にちがいない。僕ですら、かなりきつかったから*2。と同時に、運動不足もやはり実感した。
 天守閣を出て下界へ下りるとき、よたりながら上がってくる老夫婦とすれ違った。おばあさんが転びそうになったので手を貸すと、「足が言うことを聞かなくてねぇ」と弱い笑顔で笑っていた。あの二人は、天守閣内の急角度の階段はおそらく上れないだろうと思った。
 掛川城から離れ、駅へ向かう途中にあった「割烹やまと」でお昼を食べることに。うなぎ丼998円というのが惹かれた。入り口にある写真を見ると、なにせうなぎ一匹。うなぎの両端が丼からずいぶんはみ出ている。丼が小さいわけじゃない。
掛川城下「割烹やまと」のうなぎ丼 店に入ってさっそく注文し、実際に出てきたら、たしかにすごい。もちろん安さもいい。値段からも大きさからも養殖であることは間違いないわけだが*3、そもそもここ遠州浜名湖を抱えるうなぎ養殖のメッカ。食いでのあるうなぎが安いのは、やっぱりうれしい。おなかもいっぱい、天気も春の陽射しいっぱいで、この日もまた満足な一日となった。
 
 (1:35)
 

*1:浜松は浜名湖畔にあるとけっこう誤解されているが、実は案外距離がある

*2:2kg超のノートPCや350mmのビール缶4本などを詰めたやや重めのリュックを背負ってはいたけれど

*3:天然のうなぎならはるかに高いし、もっと小さいはず。だいたい、天然うなぎの時期はもう少し後だろう