きょうという日も終わろうとしているらしい

 毎度のこと。そしてまたきょうという日が始まろうとしているらしい。
 
 きょうという日が終わりまた新しいきょうという日がやってくることには素直に感謝したいところだが、それでもときにはきょうではなくあしたという日に住んでみたい気も少しはする。いやかなりする。いや少しする。
 
 (23:28)